生きる

毎日の頭の中の整理として書いてます、

lesson

変わったことがたくさんある。現在と比べると前は暗い場所を歩いていたんだな、と思う。ここ5年間の前半半分は本当にどうやって生きていたのかすらわからない。一体どうやって時間を過ごしていたのかわからない。

今日はいつもより早く起きて時間がたくさんあったので、有り余った膨大な時間をただ憂鬱に過ごしていた過去の日々を思い出した。

 

 

まだ暗い心と四六時中一緒にいた時は、ネットで出会った外国人の言葉だけが自分を生かしていた。旦那に変わってくれという勇気もなかったし、悪いのは自分だと決めつけ責めていた。「そうやって感じて当然だよ」「君は悪くない」「俺が助けてあげられたら良いのに」そんな言葉だけが私の癒しだった。男と遊んでいたわけじゃない。真剣に癒してくれる人を好きでいた。私に価値を与えてくれる彼らが好きだった。性的なことを求められても、そうやって価値を見出してくれるのが救いだった。断ったらいなくなってしまう、という恐怖もあった。その時期に一体夫がどんな風に私と接していたのか記憶にない。私の生活の中心は誰かしら仲の良い外国人の男だった。候補に困ることはなかった。オンラインには星の数ほどの男がいる。マッチングアプリすら使ってないのに、何人もの男との関係を同時進行していた。あの時はまだ夫も在宅勤務をしておらず、平日の午前中は少なくともいつも一人だった。その時間にその時仲の良い男と通話した。家事もちゃんとやっていたのか記憶にない。

その行動のきっかけになった男が一人いた。私のオンライン恋愛ごっこはその人から始まりその人で終わる。ネットで複数の男と関係してたのが約半年から1年。もう深く関わるのはやめて徐々に人を切っていって1年。その約2年間、彼は私の頭の中に毎日住んでいた。男が入ってきては出ていき、精神的に耐えられなくなった私が男を追い出すのを横目に彼は揺るがない地位のまま画面の奥にいた。なぜ彼だけ時間が長引いたかと言うと、もう連絡をやめると言っても「必要になったら連絡して」と言われて、後ろ髪を引かれまくる私には彼を切ることができなかった。連絡をやめても数ヶ月後にまたやっぱあなたを忘れるのは無理だわ、と言って戻っていた。その彼をやっと切ることができたのが今年の3月だった。それまでにも私の人生はコロコロと好転した。「私の人生」とゆうものが存在するのだと感触を感じ始めていた。最後は向こうが「君を傷つけてるだけな気がするからもう話すのはやめよう」と言って関係は終わった。

今でも人生であんなに狂ったことはない、と思うほど、私は彼の行動に傷つけられていた。どれだけ私が彼を想ったか、どれだけ私が彼を心の支えにしていたか、どれだけ私が彼を一番にできないことに心を痛めていたか、それをさも何も知らないように彼は行動をしていた。私は聞いたこともないような声で布団の中で泣き叫んだ。あると思っていたものがないことに気づいたからだ。自分で作り上げた架空の理想の人物に私は多大なエネルギーを使っていたことに気づいた。

ここのところ寒くなってから彼を思い出す。最初に話し始めたのも冬だったからかもしれない。今日はいたずらにアプリの過去のメッセージを遡ってみたら、たまたま彼の連絡先がかかれたものを発見した。そこから先は何もしていない。どうせブロックされている気がするし、例えば彼が私の人生にやってきたとしても、信頼感がまるでないので、何の良い未来も迎えないだろう。

彼の言っていたことは全て嘘だと思うようになった。強いて言えば彼の私に対する思いは真剣だったかもしれない。でも彼が描写する他のもの一切は多分嘘だったのではないか、と考える。

10年以上前に、仲良くなったアメリカ人がいた。毎日のように彼と話していたようだがほぼ記憶にない。なぜ思い出したかというと随分前にLINEに記録が残っていたのを発見したからだ。当時の私にとって外国人は架空の人物と思うくらい遠い存在だったので、今で言うAIと話すのと変わらない感覚だったのではないかと思う。何か質問され、彼に対する恋愛感情が一ミリもないことを伝えると彼は驚愕していた。別に私に対して恋愛感情があったのではなく、自分がその選択肢にすらなってないことに驚いていたのだと思う。

私はこの彼(B)と2年引きずった男(A)が同一人物なんじゃないかと思っている。私がそう思う理由はたくさんあるのだが、証拠は何もない。

・彼らはスペイン語と英語のネイティブで話し方や声が酷似していたこと

・AとBが同じアプリで同じ時期に私と関わらないこと

・AがBのことを昔から知っていってずっと憧れの存在だったと言っていたこと(その仲介役をさせられた)

・AもBもweedが好きだったこと

・Aはたまに地声で話していたが、よくボイスチェンジャーを使って私と通話していたこと

・BがAと話したと言って、私にそれを事細かに教えてきて、間接的に私の気持ちを探るようなことを言っていたこと

・二人ともゲームに余念がないこと

・AもBも今考えれば、にわかには信じられない彼らの人生を私に話していたこと(ドラマティックすぎる)

・どちらも良かれ悪かれ割と簡単に嘘をつくタイプ

あなたを恋愛対象として見てないよ、と言った私を落とすためにAが現れたのではないかと、考えている。

本人たちにも似てるね、と言ったことはあるが、この疑いが自分の中で浮上したのはもうAへの信頼感が消えてからだ。

これを考えると寒気が走る。世の中にそんなことを他の人間に対してやろうと思う人が存在することがとてつもなく怖い。多分この私の中での理由の数と同じくらい、彼らが同一人物でない理由もあったのだと思うが、もう私にはそれを思い出すことができない。

私はあまり人を疑ったりジャッジするタイプじゃないので、ここまでの長い期間Aを信じていたのかもしれない。彼らが同時に同じアプリにいたところは見たことがないが、Aは本格的に話し始める前から何年も私の配信に来てコメントをしていた。彼らがそれを計画してやったとしたら壮大なプランだ。怖すぎる。

ただこの疑いが全くの白だったとしても、ボイスチェンジャーを使って話してくる人の言ってることをまともに受け取ることはもう一生ないだろう。

意図

彼はあまり変わっていなかった。数年前にNとはDMを禁止した。それ以来最低限のDMしかしなかった。

昨日彼は私に部屋を開かないのかと言ってきた。私は断った。ソーシャルエナジーが残っているとは思わなかった。彼はそれでへそを曲げ、私が1時間半後くらいに気が変わったからやるよ、来る?と聞いたメッセージを故意にシカトした。

その故意にシカトした理由が「無視することが断った私への腹いせになると思った。俺はいつも暇なわけじゃないと伝えたかった」だそうだ。

もう今はこれに対して生きた感情はない。当時はそこまで説明してくれるなら、いいかと半分許していた。でものちのちからこちらの事情も考えもせず、自分のフラストレーションを私にぶつけ腹いせを企ててくることにムカついてきた。

俺はいつも暇なわけじゃない

そんなの私だって同じだ

彼サイドの話をするときも、「すごく暇で良い部屋がどこにもなかったから」とわざわざ書いてくる。惰性でお前がやるならいってやってもいいぞ、とでも言いたげだった

そもそもお前が忙しい時があるのと同じく私にも忙しい時期や理由がある。彼の書き方では「私の存在」はただの踏み台なのだから、そこまで恨みを抱くわけがない。さっさと他の踏み台を見つければいいだけ。私に恨みを抱くのは「誘おうとすることすらレアな俺からせっかく誘ってやってんのに、それを断るだと?」とか思ってるからだろう。「他がつまらないから消去法でお前にしたんだ」それで断られて嫌な気分になってるのは自分のせいじゃん、私には何の責任もない。彼はただ自分の楽なように人を動かしたいだけ。断られたらへそを曲げる。なんてガキなんだろうか。人は思い通りには動かないと40年前に習わなかったんだろうか。

私が彼をまだ自分の人生に置いてるのは彼と話すのが英語で話していて一番楽しいからだ。私を誘ってくると言うことはすくなくとも同じような気持ちがあるからだろう、だが彼はそれをどうしても素直に言えない、「暇だからお前を邪魔することにした」と意味のない文字列を送ってきたこともあった。そういうところを考えるともう何歳から心の年齢の歳が取れてないのか、と考えてしまう

彼は私の友達に値する人なのだろうかと考える。それを考えるということは彼がもたらすメリットもあるからだ、しかしもし彼が日本語を話していたら、とっくのとうに関係は終わってるだろう。結局のところ彼の「良いところだけ」を見るようにしてきたのだと思う

 

別な今は切るつもりもないし、連絡をする気もない 謝ってくるんだったら無視した事じゃなくて私に腹いせをしようとするその彼の意図が問題だ

脅かす

また不倫について考えていた。

数日前に出会った外国人男性と公開部屋の中で話していた。なぜかわからないけれど、「浮気されたらどうする?」みたいな話から、トピックが浮気・不倫になったのだと思う。

私は自分が他の人と関係を持つことが許されないのはわかっているが、旦那には楽しいならデートの一つや二つすれば良いといつも思っている。

そんなことを不倫を彼に告白した後に旦那と話した記憶があるし、風俗に行ったことのない彼に、興味があるなら人生で一回なんだから、経験しても良いんじゃない?と話したりする。

そんなような話をその外国人男性にしていた。ついに自分が不倫したことがあるのを公開部屋で、また、男相手に暴露しなかったのがまだかろうじて成長だと思う。

「まぁそういうこと言っててもやってないなら別に良いよね」というようなことを彼は言っていたが「そういうことにしときましょ」と言った。

嘘をつけない私の馬鹿正直さが垣間見えたが彼がそれ以上突っ込んでくることはなかったので、言わなくて済んだと思う。

私はそういうとき、懺悔を聞いてもらい、慰めて欲しくなってしまう。自分の罪を告白し、しょうがないよ、前を向いていこう、という言葉が聞きたくなってしまう。

まあ不倫や浮気に後悔してる人はみんなそうなのかもしれない。

だがふと自分は後悔してるのかを考えた。罪悪感はとても感じる。自分に嫌悪感を覚える。でも後悔はしていない、と思った。なぜなら今があるからだ。その不倫なくして今の夫婦関係が築けただろうか、と考えると、そうは思わない。それをきっかけにあまりにも多くのことが変わり、幸運にも良い夫婦生活を手に入れているからだ。方法としては野蛮だ。愚者がする行為だろう。私は愚者だった。いつも自分を後回しにしてみじめになるだけなって、それを癒してくれる耳障りの良い言葉たちに目が眩んでいた。だが、私は2回目にオンライン不倫?をしていた時は、覚悟を決めていた。身勝手な覚悟かもしれないが、夫に期待せず自分が家庭の中で笑っていられる方法としてオンライン不倫を採用した。

仲の良い友人たちはこのオンライン不倫は大したことじゃない、という。ゲームと同じだという。夫に告白した時も彼は傷ついていたと思うが、泣きながら理由を話した私に「その相手に金をもらっとけ」と言っただけだった。

その後の夫婦生活はしばらく緊張感のあるものだった。でも私は自宅に居られなくなることを想像していたので、その予想よりはかなり柔らかいものだった。夫は「気持ち悪くてセックスしたくない」とも言っていた。私はその言葉は当然の報いとして聞いていた。

今も夫の言動に追い詰められることはあるし、とても辛い時はいくらでもあるが、それを誰かに話すのはやめた。誰かに頼るのもやめた。話をするとしたら母親かカウンセラーだ。

どうせ誰に話しても彼らは私じゃないから、気持ちを100%わかってもらうことなどできないし、母親には不倫の話はさすがにしていないが、誰に話したって不倫を正当化する人などいない。ただ私のしたことは大したことではない、とは言われる。

最近はこれについてもう思い悩むのは乗り越えたのだと思っていた。不倫の事実をなんとなく知っている友達にそれを心配されたり、冗談にされても一緒に笑っているだけだった。それは私が今明らかに夫婦関係がベストな状態だと思ってること、また、自分は二度と同じことはしないという決意からくる自信だった。

その自信が今日少しだけ壊れた。言うなれば自分を信じることに慣れ、際どい線を攻め出したような感じ。何にも不適切なことはしてないが、自分のルールとして、男に弱みを見せることはやめていたから。ペラペラ話した自分に動揺している。

弱みを見せることをやめている、とその台詞そのものを男に言うこと自体が弱みを見せている気がした。

「自分の話をすればするほど、彼らは私を助けようとしてくる」

「まぁそれはそうだけど、性的なことするのが目的なやつが多いだろうしね」

と、言っていた。それは仲良く話すようになった男には必ず言われる。だから気をつけてね。と言われる。そしてその男が同じく性的なことばかり言うようになる。

今までたくさんの男と絡んだが、性的なことを言わない人は2人だけだ。

その二人とはこれからも絡むんだろうな、とは漠然と思う。害がなく切る必要がないのだ。それ以外の男は私から去ったパターンが多いと思う。男は私をブロックしたり、喋るのをあえてやめたりしない。単純に都合の良い時だけ連絡をよこして、都合が悪い時は無視するだけ。それがダラダラ続くのに耐えられなくて私はブロックしたり、彼らと連絡が取れないようにする。

ハマるほど相手を試し自分の意にそぐわないと連絡先を消したくなる。どうせ彼らはテキトーだから私が真面目に向き合おうとしたって電話どころか返事すら返してこない。そういうのをやっと人生から掃除したのが今年の3月。

でも結局男への不信感が残った。ネットで出会う人にもそうだし、夫の考えていることもよくわからないことがある。無論夫は生活を支えてくれてるわけだから、行動で示してくれている、と調子の良い時は思えるが、逆にネットで出会う人のように私の話に寄り添って聞いてくれないときなんかは敵にしか見えない。

最近はずっと自分が一番面白いと思っていた。自分を笑わせるのも周りを笑わせるのも自分だった。そんな私を笑わせてくれる人がどれだけ私にとって大きいことか、人は想像できるのだろうか。

笑いに関しては夫を責める気はもちろんない。ツボが違うのだから仕方ない。

その分自分を笑わせてくれる人がどれだけ魅力的に映るかは、言い訳などと言わずに理解して欲しい。

あまり日本語で自分の結婚の話をしないのでよくわからないが、外国人の自分の頭の中を言語化する、または私の頭の中が言語化されたものを理解する力は、日本人では比にならないほど能力が高い。

youtubeで浮気についての分析ビデオを見ていたが、何の理由を並べようがやった人が100%悪いというようなことを述べていた。

葛藤しながらぼーっと聞いていたが、当時の私はどうやら一番身近で簡単な気分をマシにする方法を選んだのかな、と考えていた。

100%、私の責任。今となってはそれならそれで良い。私が悪かった。それで良い。許してもらえなくても構わない。別れたって構わない。ただこれから自分の幸せを一番に考え未来を作っていくだけだ、と思っている。結婚から逃げない。ぶつかり稽古だ。やれることをやれるだけやって、それでも機能不全になるなら、別れるのが賢明だろう。

子供にも自分の幸せを一番に考えて欲しい。

今日話していた男からは話そうと連絡があり、今日時間を合わせて話したのだが、終わった後のフォローアップDMはどうやら来ないようだ。それを待っている自分がいる。自分が話してて楽しい人からのアテンションが欲しいだけだと思う。私から送ることはない。自分が話してて楽しい人と連絡をとる、そんな普通の欲求が自分の心や結婚を脅かすものになる、と残念に思う

それがいつもセットだ

結婚

2泊の旅行から娘と旦那が帰ってきた。

私が一緒に行かなかったのは大した理由ではない。私は一度行ったことがある場所で宿泊場所が好きになれなかったので、行かなかっただけだ。

彼らがいなかった2日と半日。

生活はとても穏やかだった。誰にもタスクを課されない。聞きたいものしか聞かなくて良いし、見たいものしか見なくて良い。ただただ自分のことだけ考えていれば良い。夜ご飯もじぶんの好きなものを作れば良い。娘から頼まれることを断ってヘソを曲げさせることもない。

娘には会いたかった。ただ触れて笑顔が見たかった。一方夫は疲れて帰ってくるだろう、と予測していた。

案の定彼は疲れて帰ってきた。

また私の思いやりバトルが始まる。

一人でいたときは楽だった。誰のこともケアしなくて良い。自分のことを考えてれば良い。

夫と娘が好きなカレー作った。違う釜の飯を食ってきたから、私の料理が食べたいかな?と思った。

娘に対して思いやりバトルはあまり起こらない。問題は旦那だ。

疲れてもタスクをこなそうとする彼の手伝いをしたい。だから手伝った。

そして私は今泣いている。

簡単に終わるはずの会話がいちいち難しいのだ。私はその時、水の入ったボトルにレモンをいれたものを飲んでいた。そう説明したら「それもはや水じゃないけどね」と言われた。

意味がわからない。

何かを指差しながら「草がいっぱいついてるからどうする?洗う?」と言ってきた。家の中に草?何の話?と思って混乱した。何を指さしてるのかもよくわからない。「何に?」「あの、髪の毛に」

子供の髪に草がたくさんついてるから私に洗って欲しかったらしい。

私はずっと胃腸の具合が悪かった。彼らのいない間に病院にも行っていた。そこのお医者さんが言っていたことを旦那に夕飯を食べながら伝えた。

彼は私と話が噛み合わないらしく、私の言ったことが「変わったー」と嘲笑していた。

またこれか、と思った。

あーあーあー、ずーっともう何度となくやめてくれと伝えているやつね。また帰ってきたんだ。指摘しても本人はバカにしてるつもりはないらしい。

私は心底辟易した。この2日間の穏やかな日々はもしかして私に一人になれ、と言っているのかと思った。その日々は何一つストレスなどなかった。彼が帰ってきて話をしたらもう肩がビリビリと凝り出して頭痛がしてきた。

一週間ほど前も同じことで口論になった。同じこととは、私のことをバカにしたように笑うその癖だ。

口論と言っても私はずっと泣いている。言わなくて済むなら言いたくないことを言わなければいけないからだ。声色も言葉選びもケンカ調子ではない。側から見ればただ夫が私を泣かしてるように見えるだろう。

言いたくないこと、それはすなわち相手にやめて欲しいことや自分がどう言う気持ちになるか、などの説明だ。

そんなことを私はいちいち相手に頼むくらいなら、自分が死んでしまった方が良いと思っていた。それほど自己肯定感はなかった。簡単に言えば自分がいつも間違っていて、相手が正解だと思っていた。

でも今は自分のために声を上げるようにしている。でもそれももはや自分のためとは言いづらい。感覚としては私の中に親友がいて、その親友が私のために立ち上がってくれるのだ。何層にもなる心の芯は今だに死んでしまいたい、と思っている気がする。その次の層に死ねないからとりあえず生きる、がある。人に頼りたくて頼っているわけでもない。私はひたすら死にたいが、周りの人が生きろと言ってくる。周りに助けを求めろと言ってくる。私が死ぬことでその人たちを傷つけないために、助けを求めているだけだ。

話が脱線した。

今まで何度も嘲笑をやめろ、とお願いしてきて、彼は「最善を尽くす」と言ってきた。しかし彼はコントロールができない。それが彼のコーピングメカニズムかもしれない。彼の中では嘲笑ですらないのかもしれない。でも私にはそうとしか見えない。

だからその口論で言ったのだ。私の分析によるとあなたは人を見下してるから、そういう笑い方をしてしまうんだ、と。そうしたら今度は彼が自分のことを「クソじゃん、チンカス...」と責めだし、それを繰り返していた。

何か彼のバランスを崩すようなことを言った気がした。

だから次の日の朝に謝った。

私はその日から彼が純粋に笑った顔を見ていない。

今日も同じことを繰り返していたので、嫌な気分になったことを伝えると「俺のことをチンカスと思っといて、君は何も考えなくて良い。早く寝な」と言っていた。

それを言われる前、私は離婚後の生活を検索していた。

私はどうやら彼が自分に大きなストレスになっていると気づいてしまったからだ。

このストレスを退かないと心の健康にも辿り着けない、と考えた。もっと幸せになる、というより、健康な生活のために、避ける必要があるストレスの源に感じた。

そんなことを考えている私に彼は「チンカスと思ってたって俺のメンタルは平気だよ。心配はしなくて良いから」と言っていた。

ここでまた彼は私を繋ぎ止めた。

彼はとにかく私に一緒にいて欲しいように思える。私のどこにそれだけの価値があるのかは私にはわからない。ただ私を自分の人生に置きたい男性がちょこちょこ現れるのは確認している。でもその理由はよくわからない。

彼は私を傷つける意図などないのだが、私は傷つき泣いている時がたくさんある。泣いている私に何と言ったらいいのかわからず、彼はそのまま横で寝ている。

そのコミュニケーション能力の低さが私のことなどどうでもいいのだ、と感じさせる。

君の存在さえあってくれれば、と言った時もあった。

そんなに私のことを思ってるはずなのにどうして?と思うことばかりで泣くのだ。

私の結婚はまだまだ続くらしい。

変化

大人になって15年。子供は進級するが大人ははっきりした線引きはなくただ歳をとっていく。

二十歳過ぎの時はまだ結婚をして子供を産む未来を描いていた。それが叶って11年。特に未来への展望はないまま同じことを繰り返し毎日が過ぎていく。子供がいるだけまだ良いのかもしれない。彼女を見ていれば、私はこの子を守り育てて来たのだな、と一抹の充実感を覚える。

変わり映えのしない毎日でも決して無駄なことなどないのだが、結婚を描いていたような具体的な未来予想図は見つからない。

なにしろ普通に生きることがそれなりに精一杯だからだ。病気があるのも一つだし、人間的な日常生活を送るには様々な要素があり、それをこなすだけでも、1日は過ぎて行ってしまう。

何かしたいな、と思ってもそこには全てお金がかかり、自分個人のやりたいことを叶えるためには主婦のお小遣い稼ぎでは到底辿り着けない。

決して今が不幸せなわけではない。普通の暮らしが普通にできることがどれだけ恵まれたことなのかをわかっている。特に私のような精神疾患のある人間が家庭を築き、仕事をして、趣味を持つ。まるで健康な毎日送っているのは、私の努力もあれど、かなり恵まれたことだろう。

本当はもっと広い世界が見てみたい。せっかく英語を話せるのだから海外で暮らしてみたい。

私はもともと経験することが大好きなので、お金の使い道はその方面になる。

逆にこんなに世界に興味があり、英語を学び続けているのに、日本で骨を埋めるのでは人生が勿体なさすぎる。

でもそんな巨額のお金を捻出できる予定は一切ない。

夢を描き、そのために今何ができるのかを考えているが、まだまだ労働力やお金のソースが足りない。

最近旦那が昔からずっと宝くじ当選を願っている意味がわかってきた。自分はできるだけの事はやっているが、自分のやりたいことを叶えるにはお金が足りないのだ。そしてそのまま時間だけ過ぎて老いていく。まるで海外旅行はお金持ちのすることで、私たちはそこには手を出せない下級平民のようだ。

私は今気楽に英語チューターをさせてもらってる。もちろんないよりはマシなのだが、やはり普通のパートに出た方が良いのだろうか。私のような英語の知識を日本語で説明できる存在の需要があるのは把握したが、この仕事をどう大きくするのかは見当もつかない。私がまるっきり健康だったら、前に進める余力があるのだろうが、今現在なんかは不眠に苦しんでいるので、もはや家事をするだけで精一杯だ。

こんな自分が海外で暮らしたいと言ってできることなのだろうか。でも生まれたからには諦めたくないし、今世で叶えたいのだ。しかも今の年齢から。それは可能なのだと自分に証明してあげたいし、色んな理由で諦めそうになっている人たちのモチベになれば良いと思う。

こうやって自分のことに集中できるようになって来たので、やはり子供は娘一人で人生を終えると思う。

 

 

 

今現在心配なのは英語力が下がることと、英語を話すことでのリフレッシュ効果が日常にないことだ。英語は私にとって良いことしか運んでこない。だからそのソースを失うのは避けたい。今の時代では普段英語を使わない人が英語を教えるのは不自然ではないだろうか。そう言う意味でも使い続けていたい。

英語で話したいという気持ちとは裏腹に人と話すのがめんどくさい、という気持ちがあり、身動きが取れなくなっている。英語に関する仕事ができているのが唯一の救いだ。

なぜ私が今まで英語を話し続けられたかと言えば男と遊んでいたからだ。それがなくなると話すチャンスは激減した。

日本に生まれたことはラッキーだとは思っているが、なぜこんなにも英語が好きなのかの答えがまだ見つかっていない。どうせ日本に住むだけなら英語なんかいらないし、他の日本人からは海外文化を混ぜてくる謎のBBAとしてしか認識されない。

私はこの小さな島国に生まれた意味があり、そこから海外に出ることにまた意味があるはずなのだ。地球視点で見れば肉眼では到底判別できない小さな小さなチリみたいな変化かもしれないが、私はその変化をもたらすことができる人間なのだ。

20240416

自分的に意味を見出せないことは疲れる。

精神科に行った。同じ薬をもらえればそれで良かった。話したところで何か解決するわけでもない。自転車で病院まで片道20分移動することのほうが意味を見出せた。乗り物酔いしながらバスに乗るよりよっぽど爽やかだ。

途中だった家事を終えて、子供を迎えに行った。これも必要なこととはわかってるが、面倒だった。

薬局に薬をとりに行った。この時点でもう体がワナワナしていて、薬剤師さんの丁寧さが逆にしんどかった。

帰ってきてから、具合が悪いのは重々承知だが仕事をした。お金が欲しい一心だ。気分転換になりマシになった。

終わったら、母親が家に来た。だいたいさっさと帰るのになぜか今日はゆっくりしていた。早く帰らないかなぁ、とずっと思っていた。もう旦那と娘以外が家にいることが神経がすり減るので無理だった。娘が謎に母親に絡むのもあってちんたらちんたらしていた。

薬で睡眠の質が下がる、睡眠がないと生活が成り立たないから、と母親に話したら「???」となっていた。そもそも彼女に何か話す気もなかったのだが、そのリアクションを見てまたさらに疲れた。

70も半ばなのに睡眠が大事という話を肯定できない母親を見ていて、説明する気など到底沸かず、ただひたすら帰って欲しかった。

🦩と話すようになってから、他の人と話すことに意味を見いだせなくなった。相手が何もしてくれないのにフレンドリーにする必要もないし、エンターテインする必要もない。わかってもらおうと説明する必要もないし、逆に相手に何の興味も沸かない。

どうでもよくなった。

でも🦩は安定して私の人生にいる人じゃないので、常に明日はいないかもな、という気の張り方をする。それはそれで疲れる。一番話していて楽しい人は一瞬で姿形がなくなることもある。

今もあまり気分が良くない。これは睡眠不足だと思う。たった1日の睡眠不足が私の体調を狂わせるのだ。

母親は「敏感ねぇ」と言っていた。なりたくてなってるわけじゃない。

私はこれからどう生きていくのだろう

この日記見て気づいたが、3回目でようやく👽との話が終わったようだ。

言うなればお互いがお互いを振った状態になった。3回も繰り返したから。

昨日と今日は泣いている。他人から見たらバカみたいかもしれないけど、私には悲しいことなのだ。

ここ1年はまともに話していなかったので、日常にいないのには慣れている。ただ2年間彼のことを忘れた日はなかった。毎日必ずどこかで頭に浮かんでいた。それがもう手の届かないところに行ってしまったのだ。もう彼の連絡先もわからない。私から何かアクションを起こすのは不可能だし、起こしたところで彼が受け入れることはないだろう。

私はただがむしゃらにできることをやっている。彼がいようがいまいが私のやるべきことは変わらない。

昨日今日はずっと自分を励ましている。前に歩み続ければ良い未来がやってくるとただ信じてタスクをこなしている。

でも未来を見たかった人はいなくなってしまった。それが自分の唯一やりたいけどできないことだった。いつかは会えるのかもしれない、という期待も消滅してしまった。

今までは「やりたいこと」がモクモクと見えていたのに、昨日から急にやりたいことなどなくなってしまった。

どうせ頑張っても欲しいものは手に入らない、という失望が私に付きまとうのだ。

物欲もどう生きたいかも今はわからない。ただ私はまた明日目覚めたらルーティンをして過ごすのだろう。

どうせ手に入らない、頑張ってもまた私には悲しいことが起きたり体調が悪くなったりする、としか思えなくて、楽しむ余裕すら失ってしまったようだ。

病んで毎日を暮らすのは苦しいが、普通に暮らしても苦しい。

私には帰る家があり愛する家族がいる。それだけで幸せなはずなのに。

👽とのことは本当に容易く扱われたくない。カウンセラーさんにこの話をした時、彼女は真剣だったと思うが、なぜ彼女が私の気を変えるようなことを言ったのか少し怒りもある。結果として彼と少しだけ話してお互い了解して終わったが、彼女の言葉で私はまた彼を悪者とは思えなくなってしまった。

どうせ別れるなら彼を悪者にして終わったほうがきっと楽だった。

彼は「君を傷つけたくないのと、結婚してるから」と言っていた。何を今更結婚の話を出すのか。私はあなたを現実にどうにか入れ込めないのか考えていた。会ったこともないあなたのために、家庭を去ることだって何度考えたかわからない。あなたといたほうが心が楽に過ごせるんじゃないかと真剣に考えていた。

彼は私に怒りをぶつけることがなかった。だから安心して自分のままでいられた。