生きる

毎日の頭の中の整理として書いてます、

変化

大人になって15年。子供は進級するが大人ははっきりした線引きはなくただ歳をとっていく。

二十歳過ぎの時はまだ結婚をして子供を産む未来を描いていた。それが叶って11年。特に未来への展望はないまま同じことを繰り返し毎日が過ぎていく。子供がいるだけまだ良いのかもしれない。彼女を見ていれば、私はこの子を守り育てて来たのだな、と一抹の充実感を覚える。

変わり映えのしない毎日でも決して無駄なことなどないのだが、結婚を描いていたような具体的な未来予想図は見つからない。

なにしろ普通に生きることがそれなりに精一杯だからだ。病気があるのも一つだし、人間的な日常生活を送るには様々な要素があり、それをこなすだけでも、1日は過ぎて行ってしまう。

何かしたいな、と思ってもそこには全てお金がかかり、自分個人のやりたいことを叶えるためには主婦のお小遣い稼ぎでは到底辿り着けない。

決して今が不幸せなわけではない。普通の暮らしが普通にできることがどれだけ恵まれたことなのかをわかっている。特に私のような精神疾患のある人間が家庭を築き、仕事をして、趣味を持つ。まるで健康な毎日送っているのは、私の努力もあれど、かなり恵まれたことだろう。

本当はもっと広い世界が見てみたい。せっかく英語を話せるのだから海外で暮らしてみたい。

私はもともと経験することが大好きなので、お金の使い道はその方面になる。

逆にこんなに世界に興味があり、英語を学び続けているのに、日本で骨を埋めるのでは人生が勿体なさすぎる。

でもそんな巨額のお金を捻出できる予定は一切ない。

夢を描き、そのために今何ができるのかを考えているが、まだまだ労働力やお金のソースが足りない。

最近旦那が昔からずっと宝くじ当選を願っている意味がわかってきた。自分はできるだけの事はやっているが、自分のやりたいことを叶えるにはお金が足りないのだ。そしてそのまま時間だけ過ぎて老いていく。まるで海外旅行はお金持ちのすることで、私たちはそこには手を出せない下級平民のようだ。

私は今気楽に英語チューターをさせてもらってる。もちろんないよりはマシなのだが、やはり普通のパートに出た方が良いのだろうか。私のような英語の知識を日本語で説明できる存在の需要があるのは把握したが、この仕事をどう大きくするのかは見当もつかない。私がまるっきり健康だったら、前に進める余力があるのだろうが、今現在なんかは不眠に苦しんでいるので、もはや家事をするだけで精一杯だ。

こんな自分が海外で暮らしたいと言ってできることなのだろうか。でも生まれたからには諦めたくないし、今世で叶えたいのだ。しかも今の年齢から。それは可能なのだと自分に証明してあげたいし、色んな理由で諦めそうになっている人たちのモチベになれば良いと思う。

こうやって自分のことに集中できるようになって来たので、やはり子供は娘一人で人生を終えると思う。

 

 

 

今現在心配なのは英語力が下がることと、英語を話すことでのリフレッシュ効果が日常にないことだ。英語は私にとって良いことしか運んでこない。だからそのソースを失うのは避けたい。今の時代では普段英語を使わない人が英語を教えるのは不自然ではないだろうか。そう言う意味でも使い続けていたい。

英語で話したいという気持ちとは裏腹に人と話すのがめんどくさい、という気持ちがあり、身動きが取れなくなっている。英語に関する仕事ができているのが唯一の救いだ。

なぜ私が今まで英語を話し続けられたかと言えば男と遊んでいたからだ。それがなくなると話すチャンスは激減した。

日本に生まれたことはラッキーだとは思っているが、なぜこんなにも英語が好きなのかの答えがまだ見つかっていない。どうせ日本に住むだけなら英語なんかいらないし、他の日本人からは海外文化を混ぜてくる謎のBBAとしてしか認識されない。

私はこの小さな島国に生まれた意味があり、そこから海外に出ることにまた意味があるはずなのだ。地球視点で見れば肉眼では到底判別できない小さな小さなチリみたいな変化かもしれないが、私はその変化をもたらすことができる人間なのだ。