生きる

毎日の頭の中の整理として書いてます、

what was I made for?

またどうにか今日も生き延びた。いろんなアプリを消した。ネットの人間関係は全部害だと思った。ブログも作り直した。

泣いていた。いつでも涙が出そうになる。でも泣くといくらか楽になる。だから泣かないよりはマシなのかも知れない。

今も体があまり落ち着かない。食べるのが億劫だ。日常生活の中で一番億劫なことかもしれない。食べないで済むなら食べたくない。

父親に車を出してもらい、カウンセリングに行った。どうにかして行かなければならないと思った。自分のために行ってあげたかった。楽になるのか疲れるのかもわからなかったが行かなければならないと思った。

24時間男から連絡が返ってこない、と言う話を流れでした。カウンセラーは「過剰」という言葉を使っていた。過剰な反応と言われたと印象がある。でも何か別のことを指して言ったと彼女は説明していた。今のこの死にそうな毎日だからこそ起きる過敏な反応、ってことだろうか。

私は人に依存だとか過剰と言われるのが本当に嫌いだ。多分普通の人はそんなことしないから普通の人の真似をしようと必死で自分を押さえつけているんだと思う。普通の人とはなんなのか。私は一体何を基準にそれを決めているのか。

依存だとか過剰だとか聞くと、お前に問題がある、お前が全て悪い、と言われている気分になる。ゆっくり依存すらさせてもらえないのか。不安を掻き立てられたことに言及しても安心をもらえない。お前が何かおかしいのだ、と言われてしまうのか。そんな人ならもういらない、となってしまう。とてつもなく傷つくのだ。今もそれに対してどうしていけばいいのかはわからない。私が自分の扱いへ文句を言うのは旦那と男1だけだ。女性には言わない。言おうという発想すらない。女性には基本依存しない。なぜかいつも男だ。

多分私が今生きづらさを感じている要素は大人になるまでは「生き抜くのに必要な能力」だったのだと思う。それの無理が祟って歳を取れば取るほど辛くなり、今はヒーリングの段階にいると思っている。

だから多分毎日泣いてるのだ。変化に心がついていってないのだ。今は辛い涙が多いが、具合が悪くなる前も毎日のように泣いていた。それは辛いという感情だけの涙ではなかった。

それにしても今まで男1の話をよく自分だけで持っていたな、と思う。

今、不安型愛着障害の本を読んでいるが、その人たちは「人に洗いざらい話さないと」気が済まないのだそうだ。まさに自分だと思った。その愛着障害の中、よくこんなに長い期間夫に話さないでいれたな、と思う。そして今回のことで夫に話せたのも良かったと思う。夫が自分の感情を優先せず私に目線を合わせ話してくれて助かった。昨日はそのおかげで生き延びた。

男1との関係を100にするか0にするかということに数日必死だった。彼にもなんだかんだ言った。自分のままでいようと思ったのだ。こんなに私はうるさいよ、こんなに私は依存的だよ、こんなに私は情緒不安定だよ、嫌いになるなら早く嫌いになりなよ。切るならさっさと切りなよ。今まで静かだった私は本当の私ではない。何を持って私のこと好きでいるんだか知らないけど、本当の私はこうなんだよ、ね?嫌いになるでしょ、早くいなくなれよ。と思っていた。でも途中からそんなに必死になっている自分が笑えてきて、方向転換した。あまりの情緒不安定さに向こうは俺のことを避けた方がいいよ、と言っていた。

まあ言うなればそこが決定的な旦那との違いなのだ。男1はここにはいない。避けろと言って、私の相手をするのを簡単に辞められる。連絡先を消せば一生話すこともない。旦那は違うのだ。毎日嫌でも私のそばにいないとならない。娘と旦那は私のことを一番知っている他人だろう。それでもそばにいるのだ。

旦那は私に「いてくれればそれでいい」という。男1は「君の存在があればいい」という。旦那は私のことを本当に愛してくれている。それと同じことを言う男1も愛とは言わないが多分私を深く想ってくれてるんだ、と判断していた。だからいつも同じ土俵に上げていた。同じ土俵に上げていてもしばらく問題はなかった。とゆうか年末までは私はあまり男1のことを今に比べると考えていなかった。夜に恋しく思ったことはあったし、彼だけは特別なのだ、と心に大事に持ってはいたが、苦しんではいなかった。

今現在は私なしで普通に生きれる彼を受け入れることすらできない。彼が自分を必要としていない、彼はもう私に興味はないのだ、と判断してしまう。年末までは私なしで楽しく生きてもらうことをずっと願っていた。その姿を見た彼も俺の出番はなさそうだ、それで元気ならそれでいい、と考えていたらしい。

冷静さを引きずりこんで考えてみれば似たようなことを思っていたのだ。

そんなことはすっかり頭から消えて、昨日はなぜか彼を全力で疑っていた。「本当にわたしのことが好きなら奪いに来い」と思っていた。「他の女を優先するってことは別にお前にとって私は大事じゃないんだよ」と言っていた。

何でこの人は行動が何も伴ってないのに、特別だ大事だとほざき続けるんだろ?と思った。周りの人たちもそう言っていた。おかしい人だと言っていた。信頼には値しないと言っていた。私の不安は煽られ相手の気持ちを勝手に決めつけた。言っていることと真反対の意味を推測した。多分彼のお伽話の中での話なんだな、と結論づけた。途中でもう熱くなるのはやめた。ここ数日の彼への行動は情緒不安定が甚だしいのも自分でわかった。だから返信に感謝をした。彼は悲しそうだった。自分の存在は私を傷つけるのだと悲しそうだった。別にそれは嘘じゃないだろう。

でも多分現実でもそうなるんだろうな、と思った。まあまず私を現実に迎える気など、彼にはないと思うが、万が一現実になっても結局複数の女を持つ彼に耐えられなくなるだろう。

私はいつも気が狂っているわけじゃないが、気が狂ってる時は訪れるし、それも私の一部だ。それは全力で私だけを愛す夫にとっても手に負えない時もあるだろう。だからこそ「男1と話して気分が楽になるならいんじゃない?」と一応言ってくれたのだと思う。狂った私を毎日見ていて、私が少しでも楽になるならと、自分の男としてのプライドまでも後回しにしてくれたんだと思う。

まあ男1は「旦那さんは何て言ってた?セックスはさすがに認められないでしょ?」と言っていたので昨日の朝「あ、また結局そこなのね」と私は思ってしまったわけだが。

今は男1が何目当てだったとしてももう真剣に取り合う必要はない、と思っている。極端な話結婚しようと言われたとしたっていくら契約を結んだとしたって、彼のお伽話のお話だと思う。自分でも「君が体目当てだとしか思えないなら、もう俺にできることはない」と言っていたし。まあないよな。ってか考えてもいないんでしょうよ。そりゃそうだ、私が乗り気じゃなかったら向こうが一人で頑張ったってしょうがないしね。私からしたら乗り気になる安全性が無さすぎて、考えるだけで気持ちが悪い。今もここに書き殴った方が自分がスッキリすると思って書いてるけど、また男1のことを語っている自分にも良い気分はしない。でもそれがありのままならそうすればいいと思う。全部吐き出してしまえばいいと思う。ここに吐き出したって誰が迷惑被ることもないのだから。

明日は健康診断だ。食欲はないので食べれないのはどうでも良いがタバコが吸えないのと水まで制限されるのに不安を覚える。でも今日はどうにか移動に金を使わず終われたのでもし明日死にそうならタクシーで帰ってくれば良いや。金は無くなるけど死にやしないだろ。

ちょっとずつでも現実に帰って来れてるからいいと思うよ。今日もよく頑張って生き抜いた。おやすみわたし。