生きる

毎日の頭の中の整理として書いてます、

祈るのみ

怖い自分がいる。👽のことも仲良く話す友達🦩のことも。

ただ👽を切るには本当に絶好の機会だったと思う。こんなに私に共感して彼の話を聞いてくれる人は他にはいなかった。もしかしたら👽を切るために🦩は戻ってきてくれたのかもしれない。そう考えると彼女がまたどこかに行ってしまっても、もう悲しむことはないかもしれない。彼女がいるのは通年でなく短期でたまに訪れるものなのかもしれない。

👽を自分の決断で切り、一人で抱えるのは茨の道だったと思う。それを彼女が緩和してくれたような気がする。今となっては切って正解!と彼女も言うだろうが、今までのことの成り行きを新しい仲の良い人に説明するのは不可能に近いし、知っている人たちも「まだそいつ繋がってんの?」となったと思う。それに私がなぜ深く彼を思っていたのか他の友達にはわからない。あなたには大切だったのね、と私の気持ちを大切にすることができる人はそうそういない。

私が新しい基盤に立つために彼女はふらりと現れ、またどこかに行くのかもしれない。

彼女と話すようになってから、いつも感じていた欲求不満さがない。自分を抑えることなくフルに出しているのだろう。でもそれは日常ではないのだ。今はその時間があることに感謝するが、それはたまに訪れる一時であって日常ではない。

前回彼女が急に音信不通になったとき、私は「なんでこんな仕打ちを受けなければならないのか」と死ぬほどショックだった。私の生活自体も低迷していた。今現在彼女は私と離れることは考えていないと思うが、彼女が私を切りたくなるときはもう自身ではコントロールの効かない状態なので、別に本人に謝ってほしいとも思ってない。それが彼女なのだから仕方がない。

👽だってそうだ。別に怒ってはいない。ただ彼にはこちらで勝手に失望したし謝って欲しいわけでもない。ただ彼は私に彼自身を見せた。それだけ。それは私を心身ともに傷つけた。だから離れた。それだけ。

🍨のことを🦩と一緒に話そうよ!と誘ったが、ドラマが起こりそうだからやめとく、と言われた。その勘は正しい。本人が気にしないならいいが、巻き込まれたくはないだろう。でも私はお前のお抱えのおばさんの嫉妬に巻き込まれてるんだけどな、と思った。そっちのがドラマやわ。

🦩の言うことは多少違和感がある。でもそれは私も同じところがある気がする。ボルテージが一気に急上昇してしまうのだ。彼女は120%で生きている感じでテキトーさがない。好きと思ったら好きしかないし、害と思ったら害しかない。楽しいと思ったら楽しいしかないし、悲しいと思ったら悲しいしかない。物事をあらゆる角度から見ることが苦手なのだろう。私もどちらかといえばそうだ。だから通じ合うところがある。

彼女は私と話すときいつも「いつもいろいろ教えてくれてありがとう」と言う。そして去っていく。そのアドバイスをするような姿勢はエネルギーの無駄だし今回私はやる気はなかった。でもあまりにも話す時間が長かったので結局そういうところも出てきてしまった。また前回と同じ流れなのかなぁ、と不安になる。

楽しくて心地よいから長時間話せるのだが、前と違って他の人と同じく疲れるようになった。それが普通だと思う。

それだけ楽しく心地よく話せる人がいるのは良いことだけど、そんな人は常時装備できるものじゃない、と予防線を張っている。

うちの旦那は彼女と話すこと自体に反対なので、この話をするのであれば、カウンセラーさんだろうか。

でも冒頭で書いた通り、👽を切るために彼女は現れたのだと思う。

 

 

最近興奮すると気持ちが悪くなるんだよね。怖くなるし。でもだいぶ落ち着いた。不安も小さくなった。

今日もたくさんいろんなことをやりとげた。また明日筋トレの日か。まあどうにかなるかな。あなたがゆっくり眠れますように。今日起きたことはもう全部終わったこと。眠りに入れば私は終わる。そしてまた明日新しい私が生まれる。お疲れ様でした。おやすみなさい。