生きる

毎日の頭の中の整理として書いてます、

つらつら

既読スルーにショック死する一方で、仕事中なのにササっと「仕事してるから」と👻が返してくれて、とても心が温かくなった

ふぅ...ホッと一息、って気持ちになる。

ほっこりインジケーターがDMが返ってくるかこないかに依存してるところが自分でも怖い。

というより、「ちゃんと私を見てくれている」という感覚なのかもしれない。

旦那からは、ちゃんと私を見てくれていると感じたり感じなかったりする。なんせ彼はなぜかいつも忙しそうでいつも何かをしている最中なのだ。以前婦人科に行った時に子宮筋腫諸々と言われた。それをLINEで事前に彼に伝えたら、帰宅後その話で話しかけてきて、子宮筋腫がどういうものなのかググったと言っていた。その一連の行動に少し驚いた。「そこは心配してググったりもするんだ、へー...」と思った。これがいかにいつも私が彼を遠くに感じているかを物語っていると思う。私が抱える精神的な病みに比べれば私の子宮筋腫なんぞなんの問題もない。精神疾患名はググらないくせに、それはググるんだ...って感じ。

この感覚は多分精神疾患のない人にはよくわからないのかもしれない。心を病んでない人は身体的健康が第一でメンタルヘルスは2番目になっている。休めば治るとか寝てりゃ治る、時間が解決する、とかその程度でしか見ていない。私はメンタルヘルスが第一で自分の身体的健康は二の次だ。むしろメンタルを病んだまま体だけ健康で死ねないほうが地獄に思える。身体的健康を優先する人は精神疾患の地獄を体験したことがないのだろうな、としか思えない。私は私で多分極端な言い方をしていると思うが、身体とメンタルは相互作用のある繋がったものなので、どちらの健康も大事にするのが一番良い。

ただ旦那や親は「まずは体の健康でしょう」という感じなので、その態度に私は否定的な意見を持つようになる。

結局人は期待通りには動かない。私が必死で伝えたことをふーん、と聞くし、どうでもいいと思ってることにやたらリアクションしてくる時もある。

今日🦉に人と話してシェアするのはメンタルに良いよ、みたいな話をされた。彼は純粋な善意でその話をしてくれたのだと思う。こんな話になったのも私が「なんか調子が出なくてさー」と話したからなのだが、話した時間で言えば彼が話してる方がよほど長かったし、圧が強いと思って私は自分の話をするのはやめてしまった。

嬉しかったことに良かったねと言ってくれる、面白いことに一緒に笑ってくれる、悲しい時は一緒に悲しんでくれる、怒る時は一緒に怒ってくれる、そんなコミュニケーションが大事だと🦉は言っていたと思う。でも私には🦉に「良かったね」と言われても「そう言った方が良いから言う」という意図を感じてしまい、気持ち良くない。心の奥底ではどうでもいいんだろうなぁと思ってしまう。あと全てアドバイスがついてきてそれを聞いている間に私は疲れてしまい、それ以上話す気がなくなるのだ。

なぜそういう風に思うかと言えば友達だからだ。彼の思考回路や本音も聞いたことがあるから、「私が落ち込まないように言ってくれてるだけ」と感じ取ってしまう。

それは私がカウンセラーさんに抱くものにも似ている。口では「それでいいんですよ」と言っていても心の底では「未熟だな」とわたしを判断しているのではないか、と感じてしまう。

両手を広げて「何を見せても大丈夫!」という気にはなれない。

結構熱心に🦉に話してーと言われたが、話すことはせずレッスンを開始した。

 

 

でも先日もう4年くらいできなかったことができた。母親に旦那の愚痴を言うこと。泣きながら話した。聞いてくれたという感覚を得ることができた。夫婦関係は私が言葉にしない限り何が起こっていてもよほど大きなことでなければ人には伝わらない。「周りはみな良い旦那と言うが、私がそれを感じてなければ意味がない」と泣きながら訴えた。彼にも至らない部分があるのだと母親にわかってもらえただけですごく救われた。夫との不仲で緊急避難が必要な時の場所として実家は疲れるので絶対に嫌、と思っていたが、母親とこの通話をしてからは実家に避難するのもありだと思えるようになった。

 

 

今は夫に不満を感じても、他の男で解決しようという気はない。どちらかというと毎日着実に精神的/経済的自立に近づけるよう燃料にしている。

でも今日は👻にDMする自分を許した。送った後に送らなきゃ良かったとは思った。でも返信にホッとした。

彼に既読スルーされたこともないし、下ネタを言われてもエロ写真/通話などを求められたこともない、遠い異国の人なので実際に私に会おうという気が一切ない、変に言葉が甘すぎることもない、わたしの不安や嫌悪を上手に避けてくれるのだ。強いて言えば下ネタはいらないのだが、笑って流せる程度ではある。

一番の良いところは細かいことを気にせずに気楽に話して笑ってられるところだ。

そんな毎日は話さなくて良いけど、この気楽さを保っていられる程度には自分の庭にいて欲しい。

新しい人と話してみてもいいのだが、数打たないと気の合う人は見つからないのでその労力が無駄に思える。

新しい人に比べれば👻はすでに人となりがわかっているので楽なのだ。

 

 

 

自分と違う意見を聞く元気がない。他の人の意見がどうでもいい。興味がない。喋った時にアドバイスしてくるのもやめて欲しい。聞くのがめんどくさい。他の人の経験や感じ方には興味があるので面白いけど、私の話は私のものでしかないからそこにこう考えたら?こう感じたら?こうしなああしなはいらない。善意だとしてもだるい。🦉は人の話聞くのが大事って言いながら自分のが喋ってるやんと思ってしまった。

他の人もそうだけど、聞く体制じゃなく喋る体制なのが通話ごしにもよくわかる。そういう会話って疲れんだよね。あと自分の大事な部分をシェアするのってそんな簡単なことじゃないよ。なんか🦉がアグレッシブに何どしたの???話していいよ!って何度か言ってきたから逆に萎縮したよ。

でも結局人がどうとかの問題より自分がどう捉えるかの話。あと気力があるかどうか。

ネット上だと女の人と日本人の男の前ではあまり自分の感情のまま話せないので気力を使う。👽は多分私が泣いてても怒ってても逆にハッピーでも話せる。リアルはお母さんと旦那の前だけかな。カウンセラーさんに泣いてもいいんですよ〜とよく言われるけど、なんかダム閉じちゃってる感じ。

だから日本人の男🦉(しかも既婚しかも仕事相手)に胸の内を話すのはかなーーーりハードルが高い。アドバイスされてもしんどいし、逆にめちゃくちゃ親身に聞いてくれて私がスッキリしても彼に自分が依存しそうだし、怖い。👽や🍔とかの長い人たちは私が依存しやすいこととか人間関係にストレスを抱えやすいことを多分知ってるし、私のバウンダリーを尊重してくれるのでもはや年に数回話すかどうか。話すとこの人たちが今度悩みの種になるだけ。でも別にそれは嫌いだからとかめんどくさいとかじゃなくて、私とこの人たちの歴史を見れば、気軽な関係を持てないのがわかってるから。付き合ったとは言えないけどその手前を経験して上手くいかなかったから。

相手がどうかは知らないけど、私は🍔と話すとその録音をエンドレスにずっと聞いてるし、👽と話した後は妄想の世界に旅立って1週間くらい帰って来れなくなるし、その程度には好きだからね。年に数回でそれなんだから、DMと通話開放したら無法地帯だよもう。あたしがね。あたしが無法地帯。

からしない。

 

 

今日は料理しなくて良かったから掃除をした。終わった時には疲れてた。楽しいこともなく午後の時間が過ぎて行った。配信でずっとコメントもらいながら私の頭の中を喋ってた。そのコメントにも途中なんかその言い方やだなぁ、と思った。だいぶセンシティブになってる。だからリラックスして話したくて👻にDMした。仕事中で全然話せなかったけど、心温まったから良い。頼んでいたイラストマーカーが届いたので、娘ともコミュニケーションがとれた。

なんかいろいろ間違えた気もするけど、とりあえず生きてるからいいや。いかんせん最近はたくさんのことやりこなしてるのに、夜になると物足りなさを感じることが多い。もっとやったことに充足感を感じてもいいのだが、なんかピンと来ないのだ。

今日もお疲れ様。瞑想して寝ます。生きててくれてありがとう。おやすみなさい。