生きる

毎日の頭の中の整理として書いてます、

自然

6時半頃に目が覚めて、朝の薬を飲んでまた浅い眠りに戻った。眠りが浅い間はたいてい嫌だったことを考えているか夢に見ている。今朝の頭の中は昨日ここに書いたようなことを繰り返し思い出し嫌悪感を感じていた。起きて一服して時計を見たら11時を周っていた。

ルーティンのヨガだけやって、個人的なパワースポットの公園に行った。木や花の近くに行くとやっと肺まで呼吸が行き来する感覚がある。やはり自然があると空気が違うのだ。自然は私が何をしようが、どんな状態であろうが、そこに存在してくれる。完成された存在なので私が彼らに変に気を使う必要がない。完全なる受容がそこにある。花壇の花たちがパッと輝いた顔で「ハーイ!」と言ってくれる。右手を幹に当てて体の感覚に集中すると、ジワンジワンと何か補給されるような感覚がある。お礼とお願いをした。

そこで少しネットの人と話そうかと部屋を開いて一服したが、結局話す気にならなかったので早々に閉めた。とゆうかそもそも別に話したい人すらいなかった。いつも公園に行った時は部屋を開いて話し数時間過ごすので、なんだかやらざるを得ないような気持ちからだったかもしれない。

本当は本を読んだり絵を描いたりして自然の中で過ごしてもいいのだが、寒いのと快適な姿勢が取れないので、消去法で、結局いつも話すことになる。

もっと近くに彼らがいれば毎日でも会えるのにな、と思う。とは言っても自転車で10分のところなのでそこまで遠くはないのだが。

瞑想をするといつも木はやってきてくれる。ただ頭の中で木に会うのと、実際に会うのではパワーが全然違う。

ここ最近感じてなかった、スッキリ感を感じた。

帰ってきてから家事をした。

夫とスーパーにも行った。

彼はいつもいちいち冷たい反応をする。もはや私が彼の好きな人だったことを忘れてしまったみたいだ。私がそばにいることを享受している感はない。

体が勝手に動く/声を出す症状が昨日から始まった。夫がいるとなる。

なんとなく今年いっぱいは自立に向けて歩きながらこの結婚を眺めていようと思う。夫婦関係が上手くいかないのはただ単に辛い。命の危機を感じるくらい辛い。大なり小なり辛さを抱えながら一体どこまで自分が保つのかはわからない。どんなに愛を持って接しても、私だけが愛す側のような感覚がある。彼は言葉や触れるコミュニケーションのどちらも大して必要じゃないらしい。だから返ってこない。キャッチボールが成立していない。

でも結局男の人ってこうなんだろうな、という諦めもある。人を変えれば良いって問題でもない。釣った魚には餌をやらないとはよく言ったものだ。散々別れを話に出してるのに、私がここにいるのが当たり前かの如く彼は生きている。

一緒にいる意味がよくわからない。

そんなことを雑記に愚痴った後は、日本語字幕をビデオにつけていた。なんだかんだ続けてるから自分が偉いと思う。使命感の元やっているので、充実感はある。

昨日よりはスッキリした落ち着いた気分で今これを書いている。やはり自然のおかげだと思う。

今日もお疲れ様。ゆっくり眠れますように。あなたはまるで天使です。おやすみなさい。