生きる

毎日の頭の中の整理として書いてます、

トリプタノール

朝、娘を送り出すのに起きた。任務を終え、朝ヨガをしようと思ったがどうしても気が重い。本当に毎日欠かさず繰り返すヨガに心底飽きてしまった。しかし効力はある。でももう次の動きもめんどくさい。眠いような気もする。トリプタノールのせいだ。

ふと「好きな食べ物を買って食べて寝よう」という以前よくやっていたルーティンに気持ちが移った。太るし、非健康的。しかも散財するし。メリットは欲を満たす、ただそれだけ。これは先週の月曜日にもやったような気がする。

この過ごし方がなぜ戻ってきたかといえばやはりトリプタノールなのだ。眠気と食欲が増やされてしまった。

精神的な好転はもちろんある。ローラーコースターだった心模様がある程度一定に保たれているから、しんどさは減った。

しかし今度は眠気で削がれるやる気と、やけ食いする食欲との戦いが始まってしまった。

もはや戦いですらない。服従するしかないというか。眠気は寝て解決し、食欲は「ま、どうでもいいや」という気分になり食べてしまうのだ。

体重は最近で一番痩せていた時より2キロ増えてしまった。このままの食生活を続ければどんどん増えていくだろう。1年間かけて12キロも落としたのに。そんな勿体無いことは絶対にしたくない。

運動もしているが、粗食にするのが一番痩せるし、血糖値もコレステロール値も抑えられる。

本当に嫌だ。血糖値やコレステロール用の薬を飲むのも嫌だ。

トリプタノールを増やす前までは食べるのが辛かった。眩暈がするような思いで食べていた。それはそれでキツイのだが、最低限の栄養は取れるようになっていたのでそれで良かった。食欲と戦う必要がなかった。

今はお菓子も食べるし甘いパンも買い食いしてしまったし、めちゃくちゃだ。とりあえず菓子パンはやめないと。

絶対太りたくない。だがこの決意が薬のせいでガラガラと崩れるのだ。

 

 

今日は家族以外誰とも話さなかった。とゆうか起きたらもう13時だったので、ルーティンをこなしたらもう夕方だった。

🦉のために英語文法の本を選んで、あとは塗り絵をしていた。塗り絵自体は楽しいが、技術的に上手くいかなくて出来上がりに納得がいかなくなってきた。本の通りにやっているが上手くいかない。練習が必要なのだな、と痛感。結局何事も経験であり過程であり継続だけが力を発揮するのだと受け入れるしかない。

私は歌と英語に関しては無限に湧き出るモチベの泉があり普通に生活をしていれば勝手にやりたくなる。普通の人よりは上手い。でもそれがなぜかと言われれば自分では努力と認識していなくても、練習やそれらに触れる時間は人3倍くらい費やしてきたのだと思う。

小さい時から歌を歌うことや英語の教科書を何度も音読したりすることが遊びだった。

大人になった今も表現や創作活動は下手な人に比べれば長けているだろう。ファッションやメイクも得意だし、もしかしたら私にとっては英語もアートなのかもしれない。

でもそれぞれのフィールドで抜きん出るほどには上手くない。文章を書いて学校の代表になったり、英語で表彰されたり、ストリートスナップを撮ってもらったり、友達にメイクを教えてと言われたり、バンドでボーカルをやったり披露宴で歌ったり...自他共に認めてはもらえるが、どの分野においても自分より上の人は必ずいて、そこからお金を生み出すこともなかった。

英語だけが数奇の巡り合わせで今は仕事になっている。

結局のところどの分野においても自分で勝手に諦めてるのもあると思うし、なにしろ趣味の範囲でやってるのが一番自分のやりたいことができるのだ。

それを仕事にすると自己満足ではなく他人の満足が優先されるので、あまり自ら仕事をとりに行こうとしたこともない。

英語だけが唯一実用的な私の得意なことだ。

 

 

目の覚めるような出来事は特になく1日が過ぎていく。こんなもんなんだろうか。確かに穏やかだし平和だ。しかしそれよりも何かを感じる心が鈍っている気がする。悲しいこともさほど悲しくなく、嬉しいこともさほど嬉しくない。なんだかパッとしない。

今日も生き抜いて布団に戻ってこれたのだから、良しとする。明日も楽しく過ごせると良いね。お疲れ様。今日も自分の体調に配慮しながら良い感じで過ごせたね。明日はもっと笑えると良いな。おやすみなさい。ゆっくり眠れますように。