生きる

毎日の頭の中の整理として書いてます、

結婚

結婚ってめんどくさい。なんなら人と関わるのがめんどくさい。良いことは指の間から砂のように落ちていくのに、嫌なことはべったり体中に張り付く。

なぜうちの旦那は私のことを大してケアしないのに、私が自分の元にいるはずだと自信があるのだろうか。それとももう自分は全力を出してるから離れて行っても構わない、と思っているのだろうか。

別に私は彼に無理に変わってもらおうとも思わない。つまるところ、一人になってしまえば生活の目星が立たない、もしくは実家に帰るとかより苦しい環境を強いられるので、ここにいる。とっくの昔に彼を愛してるかどうかなんてわからなくなってしまった。かんに触ることもよく起きる。むしろ満たされている時よりも嫌な時のが多いんじゃないだろうか。でもまだそれよりも実家で暮らすよりはマシだと思える。本当は一人で暮らしたいがそれでは生活していけるのかがわからないのだ。

もしかしたら契約として結婚を利用し、家事をやる代わりにおこづかいと衣食住を約束される、というほうがシンプルで楽かもしれない。今の夫婦関係はわりと邪魔なことが多い。他の男に助けられることが御法度だったり私自身が罪悪感を感じたりするからだ。なんで旦那は他の男と私に関係を持って欲しくないのだろうか。彼のできないことを他の人がやってくれてるだけじゃん。彼が私を満たせるならそんな面倒なことははなからしない。

そもそも私が彼と一緒にいる理由は、彼が私を好きだから、というのが根底にある。それが見えなくなったら、正直に言えば用無しだ。見えなくなるどころか私を嫌な気持ちにさせようものなら、私は彼のことがいらない。ここ2年くらいは嫌なところばかりが目につく。多分他の男の人とよく話すようになって隣の芝生が青く見えてしまうのだ。この人に落ち着く必要などない、もっと良い人がこの世界にはいる、と期待するようになった。でもそれと同時に誰と関係を持っても形は違えど嫌なところが見えてくるので、大して変わらないとも思う。

一番安心するのは彼が私の心が明るくなるようなことを言ってくれたりやってくれたりしたときだ。一番楽な精神でいられる。

嫌なことをされると一気にしんどくなる。なぜならそのバックアッププランとして自分一人で生きていく方法を考えなくてはいけないからだ。

その嫌なことを次の日には忘れてるような状態だったら、大した問題ではない。ただ最近は泣きっ面に蜂が延々繰り返されることがある。そんなしんどい環境に自分を置きたくないのだ。選択肢があるのなら別の選択肢への準備も整えたい。我慢や忍耐だけで時間が過ぎていくのは自分が可哀想だ。

私が一人こういう葛藤をしてる最中、旦那は何一つ問題がないかのような顔をして、いつも通りにしている。夫婦関係の問題を一人で抱えても意味がないので、私は問題提起するが、彼は何のダメージもなさそうな顔をしている。

なんだか一人で思い悩むのも馬鹿馬鹿しい。嫌な気分にさせてくる他人とわざわざ同じ屋根の下に住んでるのも馬鹿馬鹿しい。

今年に入ってからよく全てが馬鹿馬鹿しく思える。人生に存在するあらゆる要素が気持ちが悪くてなぜわざわざそんなことしてまで生きなきゃいけないんだろう、という気持ちになる。

今まで死にたい、と表現していたことが、馬鹿馬鹿しいに変わった。

 

 

考えてみれば今日も一ミリも笑ってない。旦那を笑わせることはあった。私は笑っていない。もちろん旦那は私を笑わそうなどという発想もない。

ネットで他人と話そうと思ったが、人が来なかったら、来ても、一人一人全員つまんなそうに見えて無理だった。

私はわりと自分にとって健康的な選択ばかりしていると思うが、今日のような嫌な気分で1日が終わることも多い。これ以上何をすれば自分が気分良く毎日生きれるのかがわからない。それは高すぎるハードルなのだろうか。どうでもいい1日を重ねていくことが生きていくことなのだろうか。