生きる

毎日の頭の中の整理として書いてます、

2024/3/1

半年ぶりくらいに仲の良かった人と話した。彼女は自分の衝動や感情にコントロールが効かず、いきなり連絡を経ってくるので、今まではそのまま受け入れていたが、もう受け入れるのはやめた。だから話すのをやめよう、と言ってから半年くらい経った。

今の自分の気持ちとしては、別に個人的なやりとりじゃないなら良いかなって感じ。なぜ私がまた話しかけてくるのか、と向こうは混乱して頭おかしくなりそうだったらしいが、今日は普通に話した。

彼女ほど楽に話してられる人はこの世にいないと思っていた。連絡を取らない間も彼女と話したことをよく思い出していた。

今回はそこまでの気持ちは心から消えていた。彼女も変わったかもしれないが、私も変わったのだと思う。4時間くらい結果的に話していたので他の人よりは長く話してられるが、今まで彼女に感じたのとは違う感覚だった。

前ほど人の言葉に気持ちが左右されることがなくなった。傷つきにくくもなかったが喜ぶこともそんなにない。彼女にならなんでも話せると思う気持ちはどこかに行った。正直に話すことが全てではないし、相手の言ったことを信じて順調だと思っていたものが一気に崩れ去ったりするのだ。本人が100%の気持ちでその時に発した言葉でも、次の日には忘れてる。大した話じゃないのだ。

彼女はきっと今日私と話したことを反芻しいろいろ考えるのだろう。そういう性格だ。私はもう考えるのをやめる。彼女なら!!という強い気持ちが消えた。別に考えるのが悪いこととは思わないが、ある程度やったらもう私はやめる。メリットがないからだ。考えは煮詰めるほどネガティブになったりプレッシャーになったりする。考えて確実な答えが出るような事例は少ない。テキトーにやっておいた方がそんなに悪いことや怖いことは起こらない。どうせみな不完全なのでお互い様なのだ。旦那とだって子供とだって距離感があるから心地よくいられるのだ。

今まで彼女と私はどちらも距離感を取るのが下手だった。だからもう今以上に近づくことはない。彼女の人生より大事なのは私個人の生活であり人生だ。

つくづく心を開くのは危ない橋だな、と思う。あんまりメリットがない。今日も少し傷ついたことがあって、なんで私この人に心開いたんだろって謎だった。

私は決して孤独ではないのだが、結局のところは一人だ。自分をいかにケアしてあげるかで抱えられる荷物がきっと変わってくるのだ。他の人を頼りにするのは期待通りにいかないことが多々だ。自分がいれば一安心、というところまで持っていくのが一番他人に左右されず平穏な生き方だ。それが健全な人生なのかもしれない。

彼女との会話は過去のものと何かが違った。でも私はそれでむしろ良かったと思っている。自分が少しづつ成長している証だ。彼女とよく話していた時代の自分には絶対に戻りたくない。

私は前に歩き続けたい。