生きる

毎日の頭の中の整理として書いてます、

気持ち悪い

気持ちが悪い。

ここ数日よく👽のことを考えていた。何度もメッセージを書いては消して考えて書いては消して考えていた。送ろうか送らぬか。送ったらまた返信を待つことになる。そもそもこの人は私が気にかけるに値する人なのか。いやただ一言「元気してる?」と送るのに何でこんなに深く考えなきゃいけないんだろう。でも送らなければ何も起こらない。返ってこない、と不安になることもない。向こうの近況を知ることもできないが、知らなくて良いのかもしれない。知って何になるのだろう。

年明けに気が狂ったように布団で泣き叫ぶ自分を思い出す。多分あれは精神が病気でおかしくなってたのもあるが、あの時は、彼が私と約束した通話を気にすることもなく他の人と明るく話しているのを見た後だった。それもあの叫びの理由の一つに違いない。私の中であの時確実に何かが壊れた。粉々に砕け散った痛みが涙となり叫びになったのだ。

あの痛みを自分にもう一回経験させるわけにはいかない。自分が可哀想だ。

ただひたすら気を紛らわした。ただひたすらに他のことをやり他の人と話していた。

今日はわりと彼のことは頭に浮かんでこなかった。そんなときに彼は突如私の配信に現れた。

何ヶ月ぶりだろうか。もう思い出せない。

軽く何回かコメントして、彼はチャットからいなくなった。

何かやってる最中だったのかもしれないが、コメントもテキトーで、私にどうしてる?と聞く事はなかった。

どうして彼のことが薄まってきたときにまた私の目の前に現れるのだろう。

そこからずっとお腹が気持ち悪い。ソワソワして落ち着かない。

もううんざりなのだ。彼はただ彼の人生を生きているだけかもしれない。私を傷つける意図など全くないかもしれない。でも彼の行動は私を傷つけるのだ。安心させず不安を掻き立てる。彼は以前は私の心の安全基地だった。今となっては地雷でしかない。

何度聞いたって彼が言っていることが本当のことなのか確かめようが全くない。私がこれ以上彼の気持ちを確認しても意味などないのだ。だって信じられないのだから。いつからか忘れたけど、私はもう彼のことを全て信じる事はできなくなってしまった。彼のことで数えきれないくらい泣いた。心臓が真っ二つに割れる痛みを何度も何度も感じた。今だってこれを書いている間ジンジンと心がしみる。私の脳と体は彼を拒否しようと必死なのだ。だから具合が悪くなる。

配信に来た時も、何にも問題ないかのように話した。でも私の手は冷たかった。血が通わなくなった。

そんな私を多分彼は安心させる事はできない。今までは彼には私を丁寧に扱うチャンスを与えていない、と思っていた。こちらのコントロールの問題だと思っていた。でも彼はセックスなしでは私に実際に会うことはないと言う。

そこでもう私とこの人は決裂している。本当に私のことが欲しいなら、1回目くらいコーヒーデートでいいじゃないか。私が最初からセックスすることに抵抗があるなら、それにめんじて調整してくれたっていいじゃないか。それを彼はしない。

自分が精神的に辛い時に私しか彼を癒せる人はいないと言って、私に性的なお願いをしてきた。今まで精神的に支えられたお返しに何かをしてあげたかったけど、唯一の頼みがそれなんだから、私にはできない。ここでも私の心は砕け散った。

泣きまくってることも伝えた。その時彼は何か言っただろうか。優しい言葉をくれただろうか。いいや。一言二言返ってきただけだ。

私の状態を伝えた後の返信が冷たかったので、もう話すのをやめようと言った。そしたら今度は俺はずっとここにいるから、必要になったら教えて。と言ってきた。

彼は一体何がしたいんだろうか。なぜ私にサヨナラしないんだろうか。かといって私を安心させることもできないじゃないか。

私はずっと放置してきた。感情的になりすぎて感情をぶつけてしまった時もあったが、ごめん気にしないでと気を取り直し、ひたすら放置してきた。

放置が楽だからじゃない。実際私が一番やりたくないことだ。さっさと白黒つけて捨ててしまいたい。最近は彼のことを思い出して良い気分になることなどない。ひたすらに気を散らしてきただけだ。今回のように考えだせば結局答えは彼を切るでしかない。

ただそれをずっと後回しにしてるだけ。

その一手が怖い自分もいる。連絡先を消してしまえば手のひらに残ったわずかな希望ですら握りつぶすことになる。

本当に気持ちが悪い。

 

グレイゾーン

今朝は10時半くらいまで寝てた。

カウンセリングだった。疲れた。

人とは話せるけど、なんとなく面白くなかった。sit with emotions的なことをカウンセラーさんが言っていた。もう起こってしまった感情とはsitしてると思うけど、未来の不快な感情はなるだけ避けたい。めんどくさい。何か原因があっても不快になるし、なくても不快になる。ない方の不快はいつも病気の症状だと思っている。原因があってもそれもトラウマリスポンスだと思っている。とにかく気分が悪いから自分から排除したい要素だ。

しかしそれを受け入れることが必要らしい。「不快だね」と自覚し放り出さずに諦めると楽になるらしい。

この話を書いていると👽が昔「嫌なことは避けられない。自分ではどうすることもできないときもある。それは仕方ないじゃんもう」みたいなことを言っていたことを思い出す。大人だなぁ、と思う。私の場合は嫌なことがあり原因がわかればすぐにそれをシャットダウンしたくなってしまう。なすすべもなく不快なまま放置することがとてつもなく苦しい。

ただその不快を感じても人に対して行動を起こすことはほぼほぼせずに済んでいる。一時の感情で大きい決断はしない、と常に心がけているので、結果的に他人からは私が不快に感じているとはほぼわからないと思う。

頭がごちゃごちゃする。逆に不快なままなぜ人は生きてられるのか。もしかしたら👽はそれを私に教えるために存在するのかもしれない。彼への感情は体調や気分でコロコロ変わる。だが求める心は変わらない。でも自分には今どうすることもできない。連絡を断つことも親密になることもできない。いつもなんでこの人は私の人生にいるんだろう?という疑問が浮かぶようなポジションにいる。考えても考えてもなんの答えも出ない。泣いても笑っても何もスッキリした未来は見えてこない。そんな曇り空みたいなどんよりしたグレイゾーンを持つための存在なのかもしれない。

カウンセリングをした当日は疲れるし、そんなに意味があるように思えない。ただこれを1年半続けてきて、自分の人生は確実に好転してるので、カウンセリングが大きなファクターになっているとは思う。

ただいつもネットの人間関係の話を先生に聞かせてるのがバカみたいだなとは思う。先生は多分そんな事は思っていない。私の大事な部分として聞いてくれているし、大事な部分なのは間違いない。ただそれを大事にするな、当てにするな、と言ってくる人たちも自分の周りにはいるので(主に旦那)、ネットのことに比重を置く自分は未熟なのだと言われているみたいなのだ。ネットの人間関係を大事にすることがまるで悪いことかのような思考回路になっている。

なぜかネットのことで私が悲しんだり泣いたりしていると、人はあまりそれを認めない。そんな想いをするならやらなきゃいいのに。と言う。まずそもそも自分の感情を人に認めてもらう必要もないのだが、認めてもらえた時の安心感は桁違いだ。悲しいよ、そうだね悲しいね、と言われるだけで救われた気持ちになる。

私から言わせてみればネットの人間関係が無ければとっくに自殺していたかもしれないし、今の英語力は到底手に入らないものだった。悲しいことも辛いことももちろんあるが、家にいるしかなかった私が人と話し笑い合えたのもネットのおかげだ。

今の仕事も私がネットで人と関わり続けたから手に入ったものであり、お金は確実に私のリアルライフも変えている。

別に旦那や他の人にとってネットが大した存在じゃなくても構わない。でも私に何か言いたいのであれば、私にとってそれは大事なことなのだと分かった上で発言して欲しい。

生きるには人と関わり続ける必要があり、人と関われば良いこと悪いことが両方ある。その場所がネットなだけだ。

ただそれと同時に思うのは一人で生きることの大切さだ。私は一人ではないが一人だ。孤独ではないが孤独だ。感情を宥めてくれる人がいつもそばにいるわけではない。自分を認めてくれる人や褒めてくれる人がいつもそばにいるわけではない。体調が悪くてもいつも助けてくれる人がいるわけではない。精神のどん底で死ぬことが最後の救いでも人は生きろと言ってくるし、あの全身に毛虫が這うような壮絶な不快感を感じている時にそう言われるのは私にとって最大の孤独だ。誰かに頼ったところで誰もそれを止められないのだ。

だから私は未来の不快には尋常じゃなく敏感だ。その不快が集まればまた私の脳みそは狂いだし、もはやコントロールが不可になり、自分や自分以外の人を傷つけるだろう。

だから不快なグレイゾーンなど全て踏み潰していきたい。

先生はどんな自分でもいいんですよ、と言っていた。私は到底まだそれを受け入れる事はできない。あんな辛い思いを幾度となくするくらいなら、何も起こらないほうが楽だ。

🍨にDMをしたら、いつもは一瞬で返信が来るのに、しばらく来なかった。

なんで送ったんだろう、と思った。送らなきゃ良かったと思った。普通だった心が一気に不穏な空気になった。

カウンセリングを終えたら、返事が来ていた。またこんな思いをしたくないので気軽にDMするのはやめようと思った。

 

 

とりあえず今日も布団に戻ってこれたのでそれでいい。なんで毎日はこんなに続くんだろうか。しばらく何も感じず何も考えない日々を持つにはどうしたらいいのだろう。

なんか今日はしんどかった。

 

おつかれさま。あなたはまた1日を乗り越えたね。ゆっくり眠ってね。おやすみなさい。

明日はもっと良い日になる

今日は長かった。必要なことはできるけど、なんかいまいちピンとこないな、疲れたな、と思いながら過ごしていた。自分の感覚はそんな感じなのだが、ものすごくいろんなことをやっている。

やり終えたらスッキリするものの、優先度が高いことを終えてもまだ午前中だった。午後いっぱいどう時間を過ごすのか、むしろ不安だった。家事はもう午前中でお腹がいっぱいだった。

なんだかんだやりながら時間は過ぎていた。私はまだまだボーッとすることができない。何もしない時間が怖いと思う。

前回記事で書いた友達に意識が流れるのが嫌だった。多分また急にいなくなるだろうし、そうなれば多少は痛いだろうし、そこまで関わりたくない。

どうにか1日を終えたが、考えてみれば自分の1日はだいぶ長くなっている。稼働できる時間が増えたからこそ時間が余る。繰り返しやる家事や仕事、作業の効率が上がり、一つのことに時間がかからなくなったのもあると思う。

新しい生徒さんが月曜に増えたが、彼女とはレッスンなしで今週は終わった。これはなんとなくスッキリしない原因かもしれない。1回目はできるだけタイミングを合わせ行いたいので、営業時間の私の自由度はいつもより低かった。

でもがんじがらめにしても焦っても仕方ないのでもう生きてればそれでいいや、のなぁなぁで行く。

人間関係は前述した友達と👽のことを考えると気分が悪くなる。二人とも私に地獄を見せてくるからだ。別に私の人生にいるのは良いけれど、あまり関わっても良いことはない。特に友達の方は絶対に今以上に関わらない方が良い。仲良くできる人だからこそしっぺ返しのダメージはひどい。仲良くしない方が良い。👽に関しても距離をつめて彼の動向を知ったところで楽しいことはないだろう。現に彼らのいない日々は平和だった。追い出す気はないし、関わりたいと心が言うが関わる気はない。

今の自分の生活を壊したくないからだ。死に物狂いで手に入れた今の生活を誰かの気まぐれで壊すことは絶対に許さない。実際は彼らが壊すのではなく、彼ら心に据えすぎてしまい、私が私の生活を壊してしまうのだ。それだけは絶対に避けたい。

今私の人生は私が主役である。心では関わりたいと思っても、関わり出した途端、彼らを主役にしてしまう。

その不安もあるが、明らかに自分が変わってきているのもわかるので同じ結果は出てこないとも思う。

とにかく今の生活を維持しながら、一人になっても生活できる力を蓄えることが、私個人の人生が充実することにつながる。あまり人間関係のネガティブな面に時間やエネルギー使いたくない。

今日も私は生きた。家族全員無事に帰宅した。お布団に入れた。もうそれだけで十分だ。いろんな思いを抱えながらあなた生き抜いた。十分だ。ゆっくり休むと良い。きっとまた明日も楽しい日になる。you deserve it. お疲れ様。おやすみなさい。

 

2024/3/1

半年ぶりくらいに仲の良かった人と話した。彼女は自分の衝動や感情にコントロールが効かず、いきなり連絡を経ってくるので、今まではそのまま受け入れていたが、もう受け入れるのはやめた。だから話すのをやめよう、と言ってから半年くらい経った。

今の自分の気持ちとしては、別に個人的なやりとりじゃないなら良いかなって感じ。なぜ私がまた話しかけてくるのか、と向こうは混乱して頭おかしくなりそうだったらしいが、今日は普通に話した。

彼女ほど楽に話してられる人はこの世にいないと思っていた。連絡を取らない間も彼女と話したことをよく思い出していた。

今回はそこまでの気持ちは心から消えていた。彼女も変わったかもしれないが、私も変わったのだと思う。4時間くらい結果的に話していたので他の人よりは長く話してられるが、今まで彼女に感じたのとは違う感覚だった。

前ほど人の言葉に気持ちが左右されることがなくなった。傷つきにくくもなかったが喜ぶこともそんなにない。彼女にならなんでも話せると思う気持ちはどこかに行った。正直に話すことが全てではないし、相手の言ったことを信じて順調だと思っていたものが一気に崩れ去ったりするのだ。本人が100%の気持ちでその時に発した言葉でも、次の日には忘れてる。大した話じゃないのだ。

彼女はきっと今日私と話したことを反芻しいろいろ考えるのだろう。そういう性格だ。私はもう考えるのをやめる。彼女なら!!という強い気持ちが消えた。別に考えるのが悪いこととは思わないが、ある程度やったらもう私はやめる。メリットがないからだ。考えは煮詰めるほどネガティブになったりプレッシャーになったりする。考えて確実な答えが出るような事例は少ない。テキトーにやっておいた方がそんなに悪いことや怖いことは起こらない。どうせみな不完全なのでお互い様なのだ。旦那とだって子供とだって距離感があるから心地よくいられるのだ。

今まで彼女と私はどちらも距離感を取るのが下手だった。だからもう今以上に近づくことはない。彼女の人生より大事なのは私個人の生活であり人生だ。

つくづく心を開くのは危ない橋だな、と思う。あんまりメリットがない。今日も少し傷ついたことがあって、なんで私この人に心開いたんだろって謎だった。

私は決して孤独ではないのだが、結局のところは一人だ。自分をいかにケアしてあげるかで抱えられる荷物がきっと変わってくるのだ。他の人を頼りにするのは期待通りにいかないことが多々だ。自分がいれば一安心、というところまで持っていくのが一番他人に左右されず平穏な生き方だ。それが健全な人生なのかもしれない。

彼女との会話は過去のものと何かが違った。でも私はそれでむしろ良かったと思っている。自分が少しづつ成長している証だ。彼女とよく話していた時代の自分には絶対に戻りたくない。

私は前に歩き続けたい。

あなた

今朝はやたらめったら👽のことが頭から離れなかった。ずっとそのことばっかりだった。しんどかった。考えても何か変わることじゃない。答えが出ることでもない。

コーヒーを飲んでも、タバコを吸っても、ヨガをやってもシャワーに入っても頭の中は彼だった。

考えても気分の良いものじゃない。良い思い出は、足枷でしかない。嫌な思い出は...

と書こうとしたところで言葉が出てこない。今は嫌な思い出が浮かばない。確かに彼のことで泣いたことはたくさんあると思う。でもそれは彼がしたことじゃない。私が一人で苦しんでいた。

思い出ではなく、私は今の現状が苦しくなる時がある。I miss youさえ言うことができない。通話を誘っても断られる。DMも通話も気軽にできない。彼のOK範囲と私のOK範囲がズレまくっているのでどんどんすれ違っていく。彼が私と連絡を取らない最も大きな理由は「エロいことを頼みたくなるから」だ。次に彼がいなくても私が調子良さそうにやっているので鳴りを潜めている。むしろ自分が絡み出すと私がしんどくなる、とおそらく思っている。

私は彼だけじゃなく、メッセージがそもそもあんまり好きじゃない。特にマメじゃない人とやると気分が動揺することが多いので、他の仲良い男の人ともしない。気持ちの話なんかの大事な話はメッセージでするものではないと思っている。でも雑な返信を返してくる人ほど、メッセージでも通話でも一緒じゃん、と思っている。

👽が配信に来ることも無くなった。多分私と絡まないようにしてるのもあるのでは?でも他の人の配信でも見かけないので単純に使ってないのかもしれない。

今夜の私はなぜか👽に好意的な印象だ。今朝は散々追い出そうと必死だった。とゆうか夜はわりとリラックスして浸ってられるが、朝はやることがたくさんあるので、自分の感情が動かされるトピックは考えたくないのだ。なのに彼が居座っていた。事務的にテキパキこなしたいのに、👽はどうだなんだと脳みそが考え始める。私はそれが本当に嫌いだ。

私が彼にDMをしない理由は彼を避けているからではなく、返信が遅くて冷たいからだ。

話し始めた頃より返信が遅くなったのか、冷たくなったのかはよくわからない。彼が変わったのか私の捉え方が変わったのかわからない。

昔は遅いとも冷たいとも思っていなかった。

返信が遅いのは私を優先していないということ、冷たいのは大して私に想いがないから、と頭の中で変換され、DMをするのがどんどん嫌になる。

多分向こうにはそれが「俺がいなくてもやってけてる」という印象を抱かすのかもしれないが、私はその裏で何度彼を思い泣いたかわからない。

それを伝えたこともあった。いわゆるロングパラグラフを送ったこともあった。それでも彼の返信は短いものだった。

だから私は彼を切ろうとした。そしたら今度は「俺はいつでもここにいるから、必要になったら連絡して」と言い出した。私がなにもエロいことを提供しなくてもそこにいると言っていた。

1月に通話した時も彼は私がいかに大事かを思いつく言葉全てで表現しようとしていた。何か証拠が見せれれば良いけど...と言っていた。私の精神はそのとき地獄にいた。何を言ったかも覚えていないが私は泣いていた。彼の前で泣くことに何の躊躇も感じなかった。自分の耳に響く彼の声だけでなぜか既に安心感を感じていた。最後には少しエヘヘと笑えたのだがそれを聞いた彼は、笑い声が聞けてよかったと安心していた。その後からは雑談を振ってくれていたが、本人の言うとおりエロいことを頼みたいのを全力で抵抗している感じだったので、通話を終えた。

でも私はまだ彼のその「大事」を疑っている。大事だからこそ下手に絡まないのは気持ちはわかる。でも大事な人がコーヒーデートくらいならいいよと言った時に、会おうと思えるのが大事な人の印じゃないだろうか。セックスがなければ会わない、という彼の理屈がよくわからない。その価値観が私にはわからない。一度も会ったことがない人相手に100%欲情すると確信してるってことでしょ?そんなことがありえるのだろうか。まずはどんな子か会ってから決めよって思わないのだろうか。

極論を言えば彼にブロックされたり無視し続けられたこともない。でも私のDMを見て返すのを忘れること自体が既に私を傷つける。私だったら絶対に忘れないからだ。だから結局彼の想いは私の想いより小さいのだろうと仮定してしまう。

テキトーにキープしているだけなのかもしれない。でもそれを言うと「もう俺がどう言う人間かわかってるでしょ?」「それ俺を批判してるじゃん」と言われる。怒ってるのではない。悲しそうにそう言うのだ。「俺のこと信じてないんだね」と悲しそうに言うのだ。

悲しそうに。

さっき嫌な思い出が浮かばなかったのと同じで、彼は特にそんなに私を傷つけるようなことはしていない。彼が覚えているかはわからないが「絶対どこにも行かないで」という約束を彼は守ってくれている。確かにどこにも行ってない。

でも私はいつも彼について混乱している。何を信じればいいのかわからなくなる。

多分昔の私は彼が自分を思ってくれているという確固たる自信があったし、他の男とも遊んでいたので、彼のDMの頻度早さ内容はそこまで気にしてなかったんだと思う。通話もちょいちょいしていたし。

少なくともこんなに混乱していなかった。ノーコンタクトの日々は調子の良い日は気にならないが、気になる日はまた混乱が頭にやってきて延々と堂々巡りを続ける。

この堂々巡りをもうしたくないのだ。終わるなら終わって欲しいのだ。でも終わらせても私の頭の中に彼は住み続けるだろう。まるで意味がない。

だから何もせず放置している。放置の箱が開くとこんなふうにいつまでも彼の思いの深さを探ったり、彼を信じていいのかどうか、と同じ道を何度も行ったり来たりしている。

考え出すと八方塞がりでしかない。

その反対側で彼は多分他の女とやってるのだろう。

彼を思い出すことはいつからこんなに苦しいことになってしまったんだろう。いつからこんなに彼を忘れるべき存在と思うようになったのだろう。この2年間で精神的なやりとりは幾度となく繰り返してるのにフィジカルに同じ空間にいたことはない。きっと直接目を見て話せば一瞬で決着がつくかもしれないのに、ダラダラとパラレルワールドが広がっている。

前ほど彼を失うのは怖くない。とゆうか理由は何でもいいから「もう君と絡むのやめるね」と言ってくれれば良いと思う。彼が私を欲していないとわかれば、私はやっと彼から旅立てる気がする。

この目に見えない何色かの線が皮膚がちぎれるほどギチギチに私を締め付けている。

彼は君に苦しんでほしくない、とよく言うが、もう遅い。もう出会った時点で苦しみの扉は開いてるから。出会っていない世界線に行かないと、苦しみはなくならない。

ほらね、やっぱりこんな一生懸命考えても答えは出ないし、私はまた泣いている。

 

 

今日もよく頑張ったね。あなたは少しづつ成長を確実に遂げてるから、安心して眠りなさい。明日は今日の続きじゃない。未来は過去の続きじゃない。必ず全てが時間と共に変わっていく。あなたができることを毎日やるだけで世界はベターに回っていく。あなたにはパワーがある。それを忘れないで。この涙は絶対に無駄にはならない。大丈夫。眠りの世界に旅立とうね。おやすみなさい。

 

ポジティブ

🦉のおかげで生徒が一人増えた。何かお返ししないとなぁ、と思う。

昨日その新しく生徒になる女性と彼と私3人で通話し、お試し授業をしたのだが、彼は見事なまでに営業活動をしてくれた。私は英語の授業だけして、あとの事務的なことは彼が全て彼女に説明してくれた。

本当に人を動かす力のある人だなぁ、と思った。そもそも私がこの仕事を始められたのも彼が引っ張ってくれたからだ。精神的にも仕事的にも金銭的にも彼が引っ張ってくれている。

「なんでこの人はここまでしてくれるんだろう?」と思うときがある。

彼とは1年くらい前から友達だったが、そうやっていろいろ手助けしてくれるようになったのは半年くらい前からだ。

彼が半年前に変わったというよりは、私が半年前くらいから前に進み出したので、それを応援したいと英語チューターになる話を提案してくれた。

今まで男性が私に手をかける時はだいたい女として狙われてるときだったと思う。それはリアルでもネットでも。現に旦那が私と一緒にいてくれるのだってガッツリ恋愛だったところからの延長線だ。

🦉が時間とエネルギーとお金を私に割いてくれるモチベがわからない...といつも思う。彼は恋愛的な言葉は一切言わないし、既婚なのもありちょうどよく私のレーダーからも外れてくれる。だから今の関係が順調なのだが、モチベは謎だ。

でも彼は恋愛だけが愛じゃない、というのを示してくれる登場人物なのかもしれないと思う。タブーは犯さず、相手に対して自分ができることを見つけ、行動に移す。別に全てを背負わなくても、人の役に立つことはできる。と、教えられてるような気がする。

でも彼の言動を見ていると「もっと頼っていいんだよー」と言っているように思える。

彼は情緒不安定な年下の奥さんの面倒もまるで父親のように見る人なのだが、加えて私のケアまでしようとしているw

昨日彼は冗談で「...そんな感じで、◯◯(私)ちゃんに貢いでますwww」と女性に説明していたが、私もそう感じることがある。

彼が英語レッスンを受けたいから私を雇っているという理由よりも、私の力になりたいからその形をとって、私がお金を罪悪感なく受け取れるようにしてくれている感じがするw

全ての動機は私への思いやりから始まってる気がするのだ。それに恋とか愛とか友情とか名前をつける必要もないのかもしれない。

昨日寝る前に、🦉はすごく上手に私の人生に絡んでくるのに、👽はなんなんだろう、と思った。🦉が絡むのがうますぎるだけなのだろうか。恋だか愛だか名前はわからないが、おそらく👽も相当な想いを私に抱いていたはずなのに、🦉のように上手に隙間を見つけることはなかった。強いて言えば旦那とうまく行っていない私の心の支えだったし大きな存在ではあったが、健全な関係ではない。

今となってはお互い絡まない方が楽になってしまった。なんでもっと上手に私のそばにいてくれないの?とは思う。しばらく彼とはもう終わったのだ、彼はお伽話の世界のキャラクターなのだ、と自分に諭し続けたし、今もあまり彼のことは考えたくない。🦉が現れたことによって、私への想いを言葉でなく行動で示す人間が存在することを知った。しかもこちらは特に何もお返しできていないのにそれをやってくれる。その横で極論「君は大事だけどセックスがないなら会えない」と言ってくるやつの浅はかさが如実に胸に刺さる。

👽の想いはその程度の浅い想いだったのだ、という発想が今も胸に突き刺さる。でもこれは私が勝手に決めつけてることなので本当かはわからない。

でも結局彼は画面の向こうのキャラクターでしかないのだ。疑問を聞けば聞くほど混乱するし、なんだか彼と絡んでいても自分が良い方向に伸びていく気がしない。

リアルでもネットでも自分にポジティブに接してくれる人を大切にしようと思う。

人生

今日はアホみたいにネットの人と話してた。人と話したいという気持ちが止まらなかった。最終的に脳みそオーバーフローして気持ち悪くなった。

過去の記事でどう言うふうに書いていたか忘れたので🚗と書くことにする。

🚗と長いこと話してた。最初は彼女がネット彼氏ができた、という話をしていた。まじで私のビジネスじゃないので勝手にやってもらって構わないのだが、その話は単純に私の好みではなかった。そういう人もいるんだな、という程度には楽しいが、私とかなり歳が離れた彼女が同世代の男性とネットカップルになる、という話はなんだか幼稚に聞こえた。彼女は完全に遊びとしてエンタテイメントとしてそれをやっていて全く本気ではない。「でも彼は私にハマっててさ」と嬉々として話していた。彼は関西人らしく関西弁がうつったようで関西弁も話していた。

私がたまたま英語の質問をした時彼女は「そんなこと気にしなくて良いよってかググりなよ」と言っていたのもは?と思った。最近私は人に英語を教えるので、できれば自信がないところは確認したいのだ。なんでそんなに偉そうなんだろなぁ、と思った。あの場で英語の質問をすることに対してその角度からパンチを喰らうとは思ってもなかった。たしかに私もいつもわからない時はまず最初にググるが、聞いた方が早かったからそうしただけだ。それも大して説明のいることじゃない。

この話は別の仲の良い女性ともしたのだが、誰かが自分の知識をタダで拝借しようとした時、相手が仲良くもない人で大して感謝の意も見せないようだと、搾取されるだけでイラっとする。でももともと友達として仲良い人がちょっと聞きたいんだけどさ、と質問してきたら私は喜んで答える。もうすでにギブアンドテイクが成り立った関係なので、対等なのだ。

🚗にもそのノリで聞いたのだが、返ってきた答えはそれ。多分もう一生聞かないと思う、彼女には。

なんというか数時間彼女と同じ場所で話していたけど、まるで彼女は酔っ払ってるみたいにベラベラ言いたい放題で、なんか押し付けがましかった。

今落ち着いて考えてみれば、彼女は遊べる彼女にくびったけの男ができて、調子に乗ってるんだと思う。自分が遊んでいる、と思っているかもしれないが、自分に気のある男がいるのを楽しいと思うこと自体は、自分だけでは自身が満たされていないという印じゃないだろうか。

満たされている女性は、それを楽しいとは思わないんじゃないだろうか。

過去の自分を鑑みて、他の女友達の言動も鑑みると、そんな気がする。

私も数年前似たようなことをしていたので想像はできるのだが、それの何が楽しいの?と、今は思う。

私が女友達に相談する時は大抵頭がお花畑になってる時なのだが、人がお花畑になってるのは初めて見た。明らかに通常の彼女とはテンションが違かった。

関西弁を話すこともそう。かなり影響されやすく、気分に流される人、と感じた。別にそれが悪いことではないのだが、なんだか自分を見ているようで同族嫌悪なのかもしれない。

仕事ができる人だし、海外で暮らしたり、いろんな恋愛経験をしているところなど、尊敬することはたくさんあるのだが、今日の彼女を見ていたらこうはなりたくないな、と思った。

ネットの男と関係を持つとゲームだと思え、と姐さんたちからはよく言われた。深刻に捉えすぎだと言われた。おそらく彼女がやっていることがこのゲームなのだが、ゲームとわかってしまうと私は何も楽しくない。むしろそれを生身の人間とやるのは面倒だ。だったらそれこそ本当にビデオゲームで良いしAI彼氏で良い。本気だったから夢中だったのだ。本気だったから楽しかったのだ。その分死ぬほど傷ついたけど、今となってはまるでたくさんの外国人とデートしていたかのような経験値が手に入ったので、良かったと思っている。彼らがいなかったら私の今の英語力はないし、今の自分がここには絶対にいないだろう。

多分早々に彼女はその男と関係を切るんじゃないだろうか。知らないが。

もう良い大人なのにそういうことに夢中になるんだなぁ、と。自分は人に未熟と思われているんじゃないか、とたまに気になることがあるのだが、自分より一回り以上年上の人たちがそれをやるんだから、別に私が未熟なわけでもないか、と思った。

なんでそんな面倒なことやるんだろう。あと結構たくさんの人がオンラインの性行為を大したことじゃないって言うのがひっかかる。まあそれは人それぞれの価値観がもちろんあるだろうが、私の価値観ではそれは浮気であり不倫だと思う。私の方程式ではそうみなされ、罪悪感にうなされるのでやらない。やって得た経験がこれだから私は多分このスタンスで行くんだと思う。

(この段落を読んでいてふと思い出したが、私は年初めに「あなたはやっぱりセックスしたいだけだと思う。」と👽に言ったのだが、彼は「君がそう考えるなら、それを変えるために何をすることもできないよ」と言っていた。そのまま思う日もあるが、ここ数日はやっぱり旦那に「あなた私の体目的なのね」と言っているのと同じに聞こえる。まあだから何するってわけでもないのだが。)

こういう感じだから他の人と実際に不倫するのもあり得ない。浮気不倫云々が道徳的に悪いからではなくて、一人で自分の心を抱えられないので、また言わなくていいことを旦那に告白し出すだろう。もうそんな自分に失望するので自分で自分が嫌いになるようなことはしたくない。

逆に自分のこの馬鹿正直さが、まだ旦那が私と夫婦でいられる理由だとも思う。私が黙っていられないのを知っているから、嘘をつかないことを知っているから、彼は私への信頼感を失わずにいてくれるのだと思う。

私が🦉に仕事をもらい、お金をもらい、週に何度も連絡を取っているのを旦那が嫌だと言ってもおかしくない。だって私の不倫経歴は全てネットからだから。👽の存在も旦那に話したけど、話すだけならいいんじゃない、会うのはダメだけど、と言っていた。その自由度をなぜ彼が私に与えられるのかも私にはよくわからない。ベースが自由なので、どのポイントで嫌になるのかもよくわらかない。

今日はずっと人と話していた珍しい1日だった。でもなぜかあんまり笑った記憶はない。

私が一緒に楽しく笑える相手って誰がいるんだろう。最近もうよくわからなくなってしまった。旦那や娘とは笑っているから十分ではあるのだが、友達というものの意味がよくわからなくなっている。🚗のように、相手への好感度が自分の中で上がったり下がったりするし、心から安心して話せる人などいない気がする。

(👽だけが通話をした時に驚異的な安心感を私に生み出していたが、あれは何だったのだろうか。彼は一体私にとって何なんだろうか。他のパズルは簡単だったり放置すれば消えていくのに彼のパズルだけは延々と残り続ける。しばらくもう彼との関係は終了したのだと自分に言い聞かせ生活していた。今も終わったも同然だと思っている。でもこれを書きながら泣いている。私が泣いている自分をそのまま出せるのは旦那と彼だけなのだ。だからいつも私は二人を同じ土俵に上げてしまう。どう考えても旦那の方が私の人生に貢献してくれてるのに、同じ土俵に上げてしまう。そんな自分をおかしいとも思うし、会ったこともない👽は旦那が支えられなかった部分を精神的に支えててくれたのだとも思う。今は彼に対してかなり美化された記憶と感情を持っている気もする。あの通話のどんな自分を見せても大丈夫だと思う安心感はあまりにも強烈で、忘れていたつもりが今思い出しておいおい泣いている。この話に結論はない。)

 

 

3連休、今月多すぎない?家で一人になる時間が少なくて、家族の足音が自分に迫る脅迫に感じる

 

 

今日もお疲れ様。生き残ってるからそれでいいや。おやすみなさい。