生きる

毎日の頭の中の整理として書いてます、

宇宙

学級閉鎖二日目。旦那在宅。私は朝薬を飲み生理痛が来たのもあってもう一度寝て11時に起きた。

カウンセリングのため13時半には家を出ないといけなかったので、朝ルーティンと家事をササッとこなした。

バスに乗りカウンセリングを受けまたバスに乗り帰ってくる。最近はこの工程が疲れるし、カウンセラーさんと話した後は恥ずかしさや嫌悪感で気持ち悪くなる。ずっと自分の未熟な部分を披露してるような気分になるのだ。本当だったらそこは誰にも触れられたくない。でも一人で抱え込んでは良い効果はないので話している。それも心のプロにだ。それでも自分が恥ずかしくなるし、自分が救われるようなことを言わなかったカウンセラーさんに対して失望もしている。勝手に失望する自分にまた自己嫌悪。

帰宅後はひたすら塗り絵をしていた。その時間は夢中になれた。だがだんだん気持ちが悪くなり、しんどかったので夕方の薬を飲んだ。その後しばらくは死にたい気持ちも見え隠れしていたが、夕飯を食べれるまでになり、今これを書いている。

今も旦那の態度が冷たく感じる。

胸を掻きむしるような不安に襲われるのだ。昔からそう。私のこと嫌いなんじゃないか?私のことどうでもいいんじゃないか?イヤイヤ一緒にいるんじゃないか?多分毎日私のこと好き?と聞いていると思う。相手の気持ちを知りたい、というよりも自分の中の不安を解消したいのだ。

お伽話チームの外国人たちにもし同じことをしたら10倍くらいの言葉が返ってくる。君が安心するなら何度でも言うよ、と言ってくれる人もいるだろう。それが継続するのかはわからないが、うちの旦那はむしろ初めは「そんなに聞かれたら嫌いになるよ」と言っていたし、言葉で私を安心させることは到底できない。だから好き?と聞いてうん、と返ってくれば良しとしている。

でも結局その根本の課題は不安を感じる自分であって、相手の言動ではない。

表面上形を変えていろんな感情になって出てくるが、結局は自分で自分自身や人生に価値を見出していないことにあると思う。

カウンセリングも1年半以上通っているがだいたいいつも話があっちゃこっちゃに行くので、課題が解決していってるのかはよくわからない。明らかに生活はマシになってるので成果はある。35年かけて作り上げられた思考回路を一つ一つ分析して行くのにはもしかしたら同じだけの年月がかかるのかもしれない。

最近の私はとにもかくにも自分の言動が恥ずかしいのだ。かっこ悪いのだ。健康になってきた!と言いながら泣き喚いて叫んでまだ頭がおかしいし、夫婦関係はここが大事!と言いながら思いっきり旦那との関係でしんどい思いをしてるし、仕事を始めた!と言ったけど、急に終わるかもしれない。自信満々に得意げに話していたことの裏面を今は経験させられている。自分の信念がブレまくっていて一貫性がない。それを人に何か判断されるのが嫌なのだ。具体的にはわからないが私はきっと人にこう思ってもらいたい、という理想があり、それ以下の評価には自分で自分に失望してしまうのだ。私自身を受け入れて欲しい、というより、いい子と言って欲しい、みたいな感じ。他者からいい子と認められてやっと自分に価値があると思えるみたいだ。

自分では自分に価値を見出していない。だってこんなに辛い思いばかりする自分、もし選べるなら欲しくもなんともない。自分に害ばかり与えてくる存在など一刻も早く捨てたい。自分をやめたい。人生もそう。別になくていい。「そのうち良いことがありますよ☆」と言われても、もはや何が自分にとって良いことなのかもわからない。何でも手に入るならただ単に普通の心が欲しい。病んでいない普通の心と脳みそが欲しい。それぐらいしか望みはない。いくら金があろうが、いくら体が健康だろうか、精神が病んでいたら楽しむことすらできないのだ。

これが私がメンタルヘルスを一番にする理由だ。

あー本当に死んでしまえたらどれほど楽だろう。周りの人が自分のことを好きなのはわかっている。だってこんなに人に迷惑をかけないようにして頑張って、他人のご機嫌をとりながら生きてるのだから、そうじゃなきゃ困ってしまう。

旦那を味方に感じたり敵に感じたりするようになってから、安心感は消え失せてしまった。家にいて感じるのは、どんな風に具合が悪くなっても一人で横になれる場所がある、という種類の安心感であり、旦那は直接関係ない。むしろ弱ってる時に頼ると逆に傷つく時がある。

だからといって別に他の人が私を癒せるわけでもないのだ。私の中に広がる全宇宙の謎を私が解き明かしてこそ、自分自身を見つけて、自分にとっての良いことや幸せなことが何なのかもわかっていくのだろう。それをカウンセラーさんが一緒にやってくれるのだろうが、本当に終わりが見えない作業だ。

人間は誰しも一人一人その宇宙を持っているはずなのだ。周りにカウンセリングに行っている人が一人もいないのでまるで何か私が特別なのかと思ってしまうが、一人残らず自分の宇宙を持っているはずなのだ。だがほとんどの人は心を病んでいない。まるで自分が人の分まで病んでいるような気分だ。健康な心を持った人が強くて、私が弱いのだと思ってしまうときもあるが、これだけ日常が脅かされてもなお、朝になれば起き上がり1日を乗り越える自分を見ていると、それが本当の強さにも思える。

人に依存することを杖にして立ち上がっていた私が今は自分で立ち上がり歩いている、もうそれだけでも十分だと思う。今日は気を紛らわせるために男と話したい気分もあったが、あまり人を頼りにしたくないのでやめておいた。

引き続きあまり人と話す気分にはならない1日だった。よくネット上に現れる人たちは大抵つまらない人ばかりなのが不思議。

今日もよく生き延びた。生きているからそれでいい。あなたが疲れた分だけ今日のあなたは頑張ったのよ。努力したのよ。だから疲れてるのよ。自分を諦めないでいてくれてありがとう。あなたのままいてくれてありがとう。あなたがいるから私がいるのよ。お疲れ様。ゆっくり眠りなさい。明日のことは明日の自分で決めなさい。現実世界から眠りの世界に入りなさい。